射精ってなんか負けた感じがしませんか?
おはようございます。風邪を引きましたが僕は大丈夫です。
高校あたりの教科書に載っている「セメント樽の中の手紙」を書いたことで有名な葉山嘉樹氏が自身の手記の中で「労働者は病気になっちゃいけない」みたいなことを書いてらっしゃるんですが、マジでその通りですね。
さて今回は射精について話そうと思います。風邪を引いているので。
こういう話題が苦手な方は引き返して、バイクの記事とかをお読みいただいた方がいいと思います。
しゃせい【射精】
( 名 ) スル
外尿道口から精液を射出すること。性器に加えられる刺激により射精中枢が興奮し、興奮が最高に達すると、反射的に起こる。
[引用: https://kotobank.jp/word/射精-76012 ]
射精。
簡単に言えば、おちんちんが気持ちよくなって精液が出るっていう現象のことであると捉えておけば充分でしょう今回は。
いや、今回僕がお話ししたいのは、射精に伴う「敗北感」についてなんですよ。
例えば人間がパコパコする漫画とかを読んでいると、「オラァ! 気持ちいいんだろ!」とか「すげぇ顔になってるぜw」みたいな感じで、「犯している側」が「犯されている側」に対し強気で接している描写が多く見られます。最近はそうでもないやつも多いけど。
そんで、そうやってパンパン腰を鳴らしながらクライマックスへと向かうわけですが、ここからなんですよ。
「ぐっ……そろそろイくぞ、中に出すからな!」
この辺から。
この「ぐっ」って「気持ちよくなって出す声」ですよね。換言すれば「今まで強気で当たってきた「犯される側」に「気持ちよくさせられて」出す声」なんですよね。
「うっ出る出る……っ!」あたりで漫画の場合は「犯される側」のイキ顔や性器から溢れ飛び散る液体へと視点が切り替わるわけですが、この場面の「犯している側」って、「気持ちよくさせられて」かなり情けない姿をしているわけなんですよ。
AVなんかだと更に顕著ですよね。「あっあっ……」「いくいく……」みたいな声を平気で出す人とかいますし。
なんだろう……いや、なんだろう? さっきまで「オラァ!」とかやっていて優位にいた側が、このとき急に弱体化してしまうような感じがするんですよね。
射精の瞬間、出す側と出される側の立場が逆転するかのような。一種の転回というか、カタルシスというか。
その敗北感みたいなものが賢者タイムの原因のひとつになっているのでは? なんてことも思いました。
なんかさ、勝ちたくないすか? 「ケッ豚みてえな声で鳴きやがって、こっちは全然イケなかったってのによ」みたいな……あっでもこれただの遅漏だ……けどなんか「イかされる」ってのも悔しいというか情けないというか……あっダメだこれ分からなくなってきました。セックス!
だからなんだよって話なんですが、そういうわけで「射精」に敗北感を感じるという話でした。
ローストビーフ丼を食べたい
僕の大学には昼休みの時間にローストビーフ丼を提供する車が来ることになっている。
今日も来た。
外のベンチにひとり腰掛けふりかけご飯を頬張る僕の鼻へ、ローストビーフ丼は容赦なく攻撃をしかけてきた。目を逸らすことはできても、鼻は塞いでおくわけにいかないのだ。
車の前には学生たちが長蛇の列を形成していた。
「お前、金ないって言ってなかった?」
「マッマにお小遣いちょーだいって言った」
秋の風は冷たいのに、香りだけ妙に暖かかった。
ローストビーフ丼は1杯650円。
僕の財布にあるのは500円。
ローストビーフ丼を食べたい。
性犯罪者になるのは思ったより簡単かもしれない
大学が終わって僕は抱えている借金のことを考えながらバイト先へ向かっていた。金がないので昼飯は家で炊いてきた茶碗一杯分の白米でふりかけご飯、夜もうまく眠れなくて寝不足、そんな状態で恋人を訪ねることもできなくて、僕の頭の中は絵筆を洗うバケツの水みたいになっていた。
そんな矢先、僕の横をすり抜けるようにして、女の子が三人、並んで歩いていった。
三人揃って白髪ひとつない射干玉の黒髪を、ひとりはおさげ、ふたりは低いポニーテールにしていた。紺一色のセーラー服だった。膝まであるスカートに、ふくらはぎの下の方だけ覆う長さの白い靴下を履いていた。
僕はiPodを操作して、聴いていた音楽を止めた。
女の子たちは学校であったことを話しているようだった。話の内容はよくわからなかった、ただ笑い声が耳についた。決してお淑やかではない、むしろ下品に類するようなあっけらかんとした笑い方だった。
この娘たちは、と僕は考え始めた。たぶん教室でいつも通り一緒に帰ろうと言い合って学校を出てきたのだ。お互いに当たり前のような顔をして帰路についているのだ。これから寄り道でもするのかもしれない。誰かがコンビニに寄ろうと言い出せば残るふたりは当然のようについていくのだろう。
僕は妙な気分になった。
今ここでこの三人のうち誰かの髪を引っ張って地面に叩きつけたらどうなるだろう。いやそれよりもうまいことやって、ひと気のないところへ呼び寄せたらどうだろう。三人まとめて相手できる自信はないけれど、ひとりをめちゃくちゃにしている間は他の女の子たちを縛っておけばいい。泣いたり喚いたりしてくれるだろうか。それとも思ったほど絶望してくれないものだろうか。笑い話のネタにされるかもしれない、それはそれで悪くないと思った。とにかく少なくとも殴ってみたいと思った、長いスカートと短い靴下との間に見えるふくらはぎへ噛みつきたいと思った、女の子たちが泣けばいいと思った。
いや嘘なのだ。ぜんぶ嘘だ。本当は僕も女子中学生になって女の子たちに混ざりたい。何も疑わずに、みんな仲良しの友達だと信じて、心から笑って、みんなアイスでも食べに行こうよなんて誘ってみたい。女の子たちはいいねって笑ってくれるに違いない、僕はそれを信じて疑わない、晴れた空と春先みたいな気温と、シンライ、ユウジョウ……
そんなことを考えているうちに、女の子たちはいつの間にか道を曲がって何処かへ行ってしまっていた。僕は黙って音楽をかけなおし、バイト先へ急いだ。脳内バケツの水はすっかり真っ黒になった。今日は五時間労働である。
追伸:私小説風にしたかっただけで深刻に病んではおりません、あと性犯罪者にはなりません。
赤髪オタクになりにいった
はずだったがそうでもなかった。
事の発端
なんとなく「弱そうなオタク」と思われてしまう人生に終止符を打ちたくなったのでテンションに任せてしまった。今は反省している。
やったこと
普段だったら絶対話しかけたくないイケイケ・お兄さんと方針を決めていった。
元の髪が黒すぎるのでとりあえず赤っぽく明るくしてもらう運びとなった。本当は紫頭になりたかったけど黒髪からいきなり染めるとなると厳しいものがあるらしい。
そのあと頭を洗われて薬を塗られてもっかい洗われて乾かされて切られた。ちなみにブリーチはしていない。あんまり明るくするとバイトできなくなっちゃうからね、仕方ないね。
結果
なんとなく赤茶色っぽい頭のオタクになった。
「紳士的」に関する私論
僕はしがないひとりの人間である。
だから僕は童貞全体を代表しようとか、男の言い分をまとめようとか、何かを批判しようとか、そういうことは考えていない。
しかし、思うことがあるので、つらつら独り言を言っておこうと思う。
「『紳士的』行動」
女の子と連れ立って道を歩いている。車道側を歩く女の子の華奢な体を、汚れたワゴン車が掠めていく。
女の子と食事をする。それなりにいい料理で腹が満たされ、そろそろ出ようかという空気になる。
女の子がいかにも重そうな荷物を持って歩いている。
多くの人は、以上の場面を頭に思い浮かべたとき、「昨今の世の中でこういう場面において『男』が期待されている動き」というものを想定できてしまうと思う。
こういう場面に遭遇したことがない人であっても、何となく「ここで『男』はこうしなきゃいけないんだろうな」という「期待」を察することはできてしまうと思う。
咄嗟に想定「しなかった」人でも、想定してみろと言われたら想定「してみることはできてしまう」と思う。
「男」は車道側へ出た方がいい。
「男」は颯爽と飯代を払った方がいい。
「男」は荷物を持ってやった方がいい。
僕は、こういうのが苦手だ。
こういうのを想定できてしまうこと自体が苦手だ。
ありがたいことに僕には僕と遊びに出かけてくれる人というのが男女ともに一定数いる。その中には、女の子に対して「男が期待される『紳士的』行動」を何の疑問もなく起こせる男や、男に対して「男が期待される『紳士的』行動」を何の疑問もなく期待する女の子というのがいる。
僕は、そういうのが苦手だ。
そういうのを当たり前のようにしていること自体が苦手だ。
苦手だ……
どう苦手なのか
僕が以上のような風潮を苦手とするのは、それが「性別と濃密に絡められているから」と、「義務ではないはずなのに義務であるかのように扱われているから」であると思われる。
「男なのだから女を大事にするのは当然」という風潮に則ると以下のようになる。
男だって車に轢かれたら痛い、けど男は女を守らなきゃいけないから……
男だって無限に金を持っているわけではない、けど男は金を払わなきゃいけないから……
男だって重い荷物なんか持ちたくない、けど女を疲れさせてはいけないから……
これを少し言い換えてみたい。
自分だって車に轢かれたら痛い、けど自分は相手を守りたい……
自分だって無限に金を持っているわけではない、けど自分が金を払いたい……
自分だって重い荷物なんか持ちたくない、けど相手が疲れてしまうだろうから……
「性別」と「義務」、これらから離れただけで僕の心はだいぶ楽になった。つまりそういうことなのだ。
「男だから女を大事にしなきゃ」という言い方をするから、なんだか何かが台無しになるんじゃないかと思うのである。
扱い方の問題
こう、なんというか、「個人の思いやりからくる行動」と呼ぶべきようなものを、なぜか「男だから」という性別上の義務であるかのように扱って、「男がそうするのは当然」とする、この感じがどうにも苦手なのだ。
誤解しないでいただきたいが、僕にだって思いやりの気持ちはある。車道は危ないとか、このくらい奢ってやりたいとか、荷物くらい持ってやりたいとか、そういう気持ちは素直に持っている。
けれどそれは、「男だから」「女だから」というのとは関係ないものだ。相手が男だろうが女だろうがそれ以外だろうが、僕はまったく同じように、「僕が車道側にいよう」「僕が奢ろう」「僕が持とう」と思う。
そう、他人を思いやりたいのは、「僕」なのだ。
しかし世の中では、それが「男」と「女」である場合、「男による女への親切」となってしまい、「人による人への親切」とはならない。
「人」と「人」ではなく「男」と「女」とに切り分けることによって何が起こっているのかというと、そこに方向性が生まれてしまっているのだ。
「男から女へ」。「女から男へ」。
「親切」における男女差
また、そこには男女によって役割の差みたいなものが用意されている。
(あんまり上手い例を思いつかなかったのでアイデアを募集します。)
いや、わかっている。こんなものは昔々から「男」「女」に付随するイメージや歴史的価値観によって見出された「役割の差」である。
しかし、しかし。
「人が人にどう親切を示すか」というのが大事なのであって、「男だから(女だから)こうしなきゃいけない」というのが必要なんだろうか? と、僕は思うのである。
というかそもそも性別というのは「男」と「女」だけではない。性自認は千差万別である。まずその時点で「男だから」「女だから」という切り分けは無意味じゃないかと思う。
そしてそういった性自認と個人の主義主張主張とを関連づけること自体もナンセンスなのではないかと思う。自分が何者であろうが、やりたいようにやればいいじゃないか。
勘違い野郎になりかねないのも怖い
これはまた違う話だが、例えば特に恋心を抱いているとかでもない女の子が目の前で突然全裸になり「男の人はこういうの好きでしょ?」などと言い出したら、まぁ僕ならヒエッと叫んでその場を去ると思う。
そこまで極端じゃなくても、例えば女の子に「いきなり頭を撫でられる」とか「いきなり肩を叩かれる」とかして、「男の人はこういうの好きでしょ」などと言われたら、なんというか「ナメないでほしいぷに……」という気持ちになると思う。
要はそういうことだ。車道側を歩いてあげて、もし「なんでこいつ紳士ぶってんの気持ち悪……」みたいなことを思われたらと思うと恐ろしい。
いや、それが「僕の」親切心から起こした行動だったなら、そして相手もそれを承知してくれるなら、傷は浅いのだ。これで僕が「男として」起こした行動であったら、もしくは相手に「こいつ男らしい行動を取ろうとしているけど私はそういうのをこいつに求めるつもりないし」みたいな感情を抱かせたとしたら、それはあまりにも……なんというか、恥ずかしい。
つまり、「男」「女」であることを必要以上に強調すると、それに伴う形でそういう男女関係的な気まずい何かが生まれてしまう気がするのである。僕はそういうのにも耐えられない。
まとめ
もちろんこういう「男だから」「女だから」という価値観に則ることが好きな人は則ればいいと思う。実際そういう人もよく見かけるので、そういう人たちのことを否定したいわけではない。
しかし、「こうだからこうしなければならない」という圧力を世間の風潮によって与えられることで、疑問や苦痛を感じる人間もいるんじゃないか……というところには留意してもらいたいなぁというのが、結局のところ僕の独り言の趣旨である。
僕は僕なりの親切を相手へ贈りたい。
そういうのが(男性名詞であることを離れて、どんな性別の人間でも)「紳士的」なんじゃないかと思う。
とかいう話ばかりしているとナンダコイツと思われそうなので、ここで僕がこないだ撮った急須の写真をご覧に入れよう。
よくない?
ご静聴ありがとうございました。