それでも朝は来るのだった
人はなぜ夜更かしをしてしまうのか。
思うに、僕のかつての夜更かしはただ遊び呆けたいがための夜更かしだった。好きなだけ本を読み、好きなだけ文学論の真似事をし(文学研究会にいたからだ)、好きなだけ夜の街を歩いて、好きなだけ笑っていた。
しかしながら、いま現在の夜更かしはそうした類のものではなさそうだ。そもそも基礎体力が尽きてきたので、本当は起きているのもしんどい。明日のことを思えば早く寝るのが正しい。布団がワサワサと音を立て、目覚まし時計はカチカチと針を鳴らす。寝なくてはならない。
それでも寝ないのはひとえに、焦燥感ゆえだろう。
夜に眠れば朝が来たる、この単純な巡りを恐れる日が来ようとは思わなかった。
朝という時間帯が嫌いなわけではなかったはずだ。早朝の風も音も色も、わりかし好きな方なのだ。けれども、自分の人生を「日常」という枠の中において浪費しつくしている日々の中で、朝を楽しむような心の余裕を持つことなどできるはずもなかった。
この夜を使わなければ、この夜を使って何かを成し遂げなければ、という焦りばかりが脳味噌を支配してグルグルにしてしまう。しかし体は眠いので、何を成し遂げることもできやしない。文章を書くだけで精一杯。それだってご覧の通りギリギリで、全身がキリキリ痛む。
読みかけの本は閉じた。目覚まし時計はセットした。布団を被った。朝を迎え撃つには心細い装備だが、それでも朝は来るのだった。
本日ご指摘を受けた内容
お疲れ様です。クロルです。
本日ご指摘を受けた内容をご報告いたします。
結論
今後は文章を簡潔にまとめる。
経緯
1)ご指摘内容
・文章が長く逆に分かりづらい。
・忙しいときに読むにはまどろっこしい。
2)原因の究明
・僕自身が、先方から自分宛に送られてくるメールおよび報告書・説明書類の省略された内容を見てもその中身を正しく把握できずにおり、よって自分から先方へ送るメールや報告書・説明書類に関しては、自分にも理解できるように叙述しようと考えてしまっていたため。
→先方の都合を考えていなかった。
・誤解されることを恐れ、誤解のないよう説明しようと言葉を重ねてしまったため。
→読みやすさとのバランスを取れていなかった。
・自分の文章に過剰な自信を持ち、分かりやすく書けているものと思い込んでいたため。
→ご指摘の通り、率直に言って、長いだけで分かりづらかった。
対策
・簡潔で明確な文章を心がける。
→相手は既に概略を把握しているため、必要以上に丁寧な説明は必要ない。
・自己弁護に走らない。
→先方にとっては、誤読させられるよりも長ったらしい文章を読まされる方が不快。
・自分の能力を過信しない。
→おとなしく上長の真似をしておく。
ご報告は以上です。
ご確認をよろしくお願いいたします。
クロル拝
そんな日曜日の夜、だった
「男でメンヘラはヤバいでしょ」というようなツイートを見かけて、男女で扱いを変えるのは良くないだろうと首を傾げつつ、どんな人でも苦しいときはあるだろうと頷きつつ、でもどちらにせよ病んでいる僕(他の誰かではなく、僕)に対して不快感を覚える人もいるんだよなあとしんみり感じた、日曜日の夜、「つらいときは吐き出していいんだよ」と他人には言うけれど、僕自身は吐き出さない方がいいんだろうなと思った、「苦しいときは頼っていいんだよ」と他人には笑顔を見せるけれど、僕自身は自立できるようになろうと思った、生きることも赦されないが死ぬことも赦されないというのが雑魚の在り方なのだと悟った、そんな日曜日の夜、だった。
一口に「メンヘラ」といっても色々なタイプがある。と、いうような話をするとき僕は大抵コトバンクなどのネット辞書からまず語義を引用してくることにしているんだけれども、今回はGoogleで「メンヘラ」と検索した途端に吐き気を催してしまったのでやめておくことにした。世の中は「メンヘラ」と呼ばれる人間に対してとても……なんだろう……手厳しかった。
本当はこんなこと思いたくなかった、公平で客観的な立場から話をする方がいいと思った、けれども、揶揄する側に立てる人間のなんと多いことか、と思ったし、幸せな人たちが羨ましい、とも思った。「メンヘラを見分ける方法!」みたいな記事を嬉々として書ける人も、ワクワクしながら読める人も、あまりに恵まれた人たちだ。
僕の場合、実をいうと「誰でもいいから愛してくれ」状態というよりは、どちらかというと「本当は自分のことを肯定したいのに周囲がそれを許してくれないような感覚に陥る」状態にある。たぶん優しい方々は「肯定していいんだよ」とおっしゃってくれるだろうけれども、なんというか駄目なんだな。過去に犯してきた失敗が、未来に犯すだろう失敗が、現在の一瞬一瞬を生きる僕を脅かしてきていて、あんなことをしてきたお前が許されるわけがないだろう、これからも同じ過ちを犯すに決まっているだろう、というような幻聴が聞こえてくるような気がする。そして実際、僕はそういう過ちを犯してばかりいる。
一瞬だけ、僕も頑張ったんじゃないかな、と思う瞬間があったとしても、次の瞬間、もっとつらい思いをしている人がいるとか、もっと努力している人がいるとか、過去に酷いことをしてきた自分がいま何をしたところでそれが認められることはないとか、今回たまたま良くできただけなのに調子に乗るべきではないとか、そんな風に「仮想他者」の声がしてしまって、あ、ごめんなさい、何もできていませんでした、となってしまう。
そういう状態でいるから、死はどうしても“自分の犯した罪”や“自分のかいた恥”や“自分の傷つけた人々”から逃れるための手段であると感じてしまっていて、死にたいなあという感情はそういうところからくる。とはいえ、そうやって逃げるための死を望んでいる僕の醜さは人から責められても仕方のないものだ、とも思う。死ねば楽になれる、という態度の汚さ、狡さ、愚かさ、そういったところを刺されても本当に仕方のないことだと思う。だって僕は雑魚なんだから。
と、いうようなことを、僕は頼まれもしないのに語りつづけている、そういう種類のメンヘラなのだった。
要するに僕は実力が伴わないのに自尊心ばかり高いのだ。自分のことしか考えていないのだ。そういう点で僕は間違いなく「メンヘラ」であり、そう呼ばれるに相応しいのだ。僕は自ら李徴を気取り、自ら語り手となって予防線を張り、ツイッターを袁傪に見立てて漢詩を詠みつづけている。袁傪を食ってしまう前に我に返ったにもかかわらず、何も言わずその場を去ればよいところを、聞こえよがしに「あぶないところだつた」と呟きつづけて袁傪の気を引いた虎。李徴の漢詩に対し、袁傪の感想というていで、「何処か(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがあるのではないか」などと語ってみせた語り手。都合のいい「聞き手」としての袁傪を描き出した語り手。
自己弁護。
今日は一日中を寝て過ごした。脳味噌が重い。やってられねえなと思う。明日は月曜日だ。
等々力渓谷へ行った
等々力渓谷へ行った。
(参考: 等々力渓谷公園 | 世田谷区 )
一人旅に関してハズレを引いたことのない某氏にご提案いただいたためであった。
都心ど真ん中に突如として現れたる自然豊かな渓谷、というわけで有名な場所であるらしい。事実、お年寄りから子どもまで多くの人々とすれ違った。
(正直なところ、若いカップルや大学生らしきグループのそばへ近づくとそれなりに騒々しかった。また、何やら社会への不満をひとり大声で空へ向けて叫んでいる哀しい若者とも巡り合ってしまった。けれども不思議なことに、彼らから少しばかり距離を置くと、そうした騒ぎ声は森林のざわめきに溶けてくれたのだった。)
下調べも何もしてこなかった僕は、ただ目の前の自然に圧倒された。すぐ外は自動車の走り回る大通りだというのに、公園の中はシンカンとして、前述の若者たちのボソボソ声と、水の流れる音と、鳥の鳴き声だけが聞こえていた。
どんな鳥がいるのだろう、というのを解説してくれているボードが設置されていたことから察するに、やはり彼ら野鳥はこの公園の名物のひとつであったらしい。
カラスも野鳥。
そして階段を降りていくと川に行き当たった。
これは谷沢川という川で、このあたりをずっと流れてきて最終的に丸子川や多摩川の方と合流するものとのこと。
そして、この写真でお分かりいただけるだろうか。カーブしているところに砂や小石や泥が固まっているということを。
僕は自分がボッチなのも忘れて「これ理科でやったやつ!」と叫びそうになった。本当に叫びそうになった。
ね?
そうして僕は川の流れを見ながら、ゆっくりゆっくり歩いていった。
これは「普通」とか言われてしまっていたカシの木。
よく分からないなりに歩いてくると、こんな景色とともに稲荷神社や何やが見えてきた。
とりあえず参拝してから手近な階段を上がった。
するといきなり甘味処の庭に出てしまった。
人の良さそうなおかみさんがいらっしゃいませと微笑んだので、済し崩し的にその場でお汁粉を注文した。
これが非常に甘くて美味かった。お汁粉に塩昆布をつけて出してくる店にハズレはないのだった。
その店のトイレの前にこんな張り紙がされていた。執事がいる不動尊にハズレはないのだった。
ちなみにこの店は「雪月花」という名前だった。この看板は退店時に発見した。本来の入り口と逆側から訪れてしまったらしかった。
その流れに乗り、執事がいることで有名な不動尊の方にも訪れて参拝してきた。執事はお見かけしなかったが、頬をひねり上げて変顔をしている最中の和尚さんをお見かけした。妙な空気になった。
そのまま歩いていくと日本庭園があったので、そちらも見てきた。
この写真はなかなか雰囲気を出せているのでは。
これはミカン畑。
歩き疲れて腹を空かせた僕は日本庭園の先にあった広場で昼寝をした。そこは夫婦・団体客・カップルで賑わっていたが、僕が寝ている区画には誰も近寄らなかったようだ。気持ち悪がられたのだと思われる。
すやすやしたのち、そろそろバイク駐輪場からバイクを出せなくなりそうだったので帰路を目指した。その折、まだ歩いていない箇所と、まだ見ていないものとがあることを知った。
例えばこの橋。降りて歩くことができた。
ただし雨が降っていないときに限る。
最後に、ここの名物であるはずの「横穴古墳(東京都指定史跡等々力渓谷3号横穴)」を見ていないことに気づいた僕は、上がった階段を降りて探しにいった。一人旅のこういうところが大好きだ。
せっせと歩き回った結果、それは僕が最初に入った入口のすぐそばにあったのだということが判明した。手前にあった説明文は見たのに、その先に実物があるというのをなぜか見落としたのだった。「ゴブリンスレイヤー」でシャーマンの作ったトーテムに気を取られてしまった白磁冒険者のような状況だった。ちょうど横穴の話だしね。
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……さて。アタマを渓谷へ戻そう。
横穴は近づくと奥まで見えた。昔々のものとはいえ一応は墓なので、何となく写真をパシャパシャ撮るのは憚られた。
そこで、たぶん今まで誰も撮ろうとしなかっただろう方向性の一枚を残してこの記事の締めとしたい。
これは墓の前に立って振り返ったときの風景。
以上。
もうねよう!
「言葉が一切まとまらない」という恐怖を味わった。
もうよくわからないので寝よう、でも何か記事を書こう、と思って、僕は自分のアタマに意識を集中させた。そうしたらどういうわけか、いろんな言葉がモノスゴイ勢いでぐちゃぐちゃ飛び交ってしまって何もできなくなった。5分間ほどそうしていただろうか。とりあえず深呼吸して、落ち着いてきたので今こうして文章を書いている。
目覚まし時計の秒針の回る音が、やけに大きく聞こえる。スマホの光が眩しすぎるので、できるだけ暗い状態にしている。いつもの強い吐き気が襲ってきている。体調自体があまりよくないのかもしれない。
僕は他人の文章を読むのも自分で文章を書くのも好きだ。だからそれらができなくなると困る。とても困る。ので、自分の言語能力が一瞬間でも混濁した……という事実は、少しばかり僕を打ちのめした。
けれど反面、思いもよらない言葉同士が勝手に結びつきあって文章のニセモノみたいなものを生成していくという状況は少しばかり面白くもあった。次にそういう機会があったら何が浮かんできたか全部どこかへ記録しておこう。それを文章と呼ぶことができるかどうか、呼んでいいかどうかはさておき。
アタマがまだクラクラする。眠いのか、苦しいのか、つらいのか、厳しいのか、少なくとも胃袋は中身を逆流させようと暴れている。むしろそうした臓腑の動きが僕の脳まで掻き乱したから言葉が出なくなったんじゃないかとさえ思う。部屋が寒い。
もうねよう!