世界のCNPから

くろるろぐ

誘惑に敗北した

フイルムカメラはいい。

 

一発勝負の緊張感、満足なものが撮れていたときの達成感、カメラ自体の所有感、時の流れそのものをゆるやかにしてくれる安心感。

 

かくいう僕もフイルムカメラのそういうところが好きで、ちょっと前に購入した。

 

cnp.hatenablog.com

 

しかも敢えてのトイカメラを。

 

質のよい高級カメラは持ち腐れてしまうように思ったし、どうしても尊敬するカメラマン兄貴の腕前と自らの不器用とを引き比べてしまいそうな気もしたので、五千円も出せば買える玩具を選んだ。むろん、玩具とはいうけれども撮影してみれば紛うことなき「カメラ」であって、僕の暗い日々にフラッシュを焚いてくれた。

 

しかし。

 

社会人とかいう不幸な地位に身を置いてしまった僕には、フイルムカメラを充分に楽しむことなぞ許されていなかったのだ。朝に出勤、夕に退勤、まず撮影を楽しみに行く余裕もなく、また現像を頼みに行く時間もない。自分で撮った写真をいつまでも確認できないというのは、フイルムカメラの醍醐味でもあるが苦悩でもある。やんぬるかな。

 

そこで。

 

そこで……。

 

 

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誘惑に、敗北した。

 

トイデジタルカメラを購入してしまった。

 

……。

 

嗚呼……。

 

人は何故…………。

 

 

 

ま、買ってしまったものは仕方がないのだが。

 

 

さて気を取り直して、このトイカメラ、先に面白ポイントを披露しておきたい。簡単にいうと自慢である。

 

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ひとつ。液晶がない。

これは個人的に気に入った。こいつ、「microSDを取り出してPCなどで確認するまではどんな写真が撮れたか見ることができない」というのを特徴としている。

つまり、フイルムカメラの素敵ポイントである「一発勝負の緊張感」「満足なものが撮れていたときの達成感」を残しつつ、“現像に出向くよりは手軽な形で自分の撮った写真を確認できる”という、おいしいとこ取りっぽい一品なのである。

 

 

次に、

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めっちゃ小さい。

 

わー。わはは。

 

ネタバラシをすると、こいつはケンコー・トキナーの「トイカメラ DSC Pieni」(参考 : トイカメラ DSC Pieni | ケンコー・トキナー )。

三年くらい前に発売されたものなので、知っている方は知っていることだろう。公式サイトからも察される通りファッショナブルな女の子にオススメ♡感が否めないのだが、とにかくこれは相当に持ち歩きやすいはず。

 

さっそくトイレの内装を撮った。

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楽しくなってきた。

 

ファインダーがファインダーとして機能していないため(覗くことができない)、撮りたいものの方へ適当にカメラを向けて適当にシャッターを切るしかないというヤバさが気に入った。画質が荒いため、本来はプリチーなはずのタオル掛けが狂気の風合いを見せている。

これはこれでなかなか悪くないんじゃないか。

 

(ところでここだけの話、実は林檎純正のLightning-SDカードリーダーも一緒に購入したので、撮ったらすぐスマホに繋いでSNSにアップロードして承認欲求を満たすという運用で行くつもりだった。しかしこの機器、純正のくせに、iOS12だと「一度PCに繋ぎ、特定の名前をつけたフォルダに写真を入れないとiPhoneから読み込めない」という致命的なバグをそのままにしている機器だったのである。純正だぞお前? 早く何とかしてくれよ……モノはレビューを見てから買うのが吉。僕は学んだ。)

 

まあ僕は潤いのない人生に耐えられるほど大人ではないので(ここでキメ顔)、とにかくこういうことをやっていきたいといったわけだった。どんどん撮っていきたい。

痛みつづけている

どこかが痛みつづけている、というのは実によくないことだ。

 

今日は別部署の先輩が「舌の裏が炎症を起こしてめちゃくちゃに痛いから病院に行ってきます」という理由で少しばかり出勤時間を遅らせてきた。僕の直属の方の先輩ならきっとしないだろう休み方だった。けれども僕は、「舌の裏が痛い」という状況にひどく同情した。それは命に関わるほどでない、誰にも見えない痛みだけれども、そこにあるだけで持ち主の心を少しずつ蝕むタイプの痛みだと思った。

 

僕はいま、風邪か何かで喉を痛めている。ものを飲み込まずとも、声を出さずとも、ただじわじわと痛い。こういうとき、僕の喉はいわゆる「ヒリヒリ」型の痛み方ではなく、僕の喉専用の独特な痛み方をする。ズキズキとかガンガンとか、痛みを表す擬音語は山のようにあるわけだが、僕のこの痛みはそれらのどれにも当てはまらないような気がする。強いて言えば、目の細かいヤスリを巻いた舌圧子で喉奥を押されているような……同時に首を絞められているような……そういう痛みだ。

 

外見からではわからない症状なので人には察してもらいようもないし、自分としても家で寝込むほどの事態じゃないように思うし、そんなわけで僕はいつも通りの生活を送る。しかし僕の喉にはそれが面白くないらしく、構ってもらいたがっているかのようにじわりじわりと痛みつづける。これが思いのほか鬱陶しい。“痛み”には存在感がある。忘れようにも忘れられない。「苦痛」という熟語にも「痛」という字が入っているわけだけれど、痛みそのものが苦痛、苦痛すなわち痛み、やりきれない。

 

ひとまず葛根湯を飲んだ。手元を探っても風邪薬の類は他になかった。喉の痛みに効くものかどうかはわからないが、これが風邪なら風邪の治癒とともに喉も治るだろう。

葛根湯があるだけでも幸いというものだ。そのときどきの痛みに対して都合のよい薬がいつもあるとは限らない。

パラグライダー

土曜日、高校時代の知り合いたちに呼び出されて食事を共にした。五年も十年も前に離れ離れとなった知り合いたちの名が次々と話題にのぼり、僕の中でとっくに風化していたはずの記憶が無理やり元の形を取り戻していった。花は散ることによってむしろ咲いていた頃の姿を人の心へ焼き付けるものだ。黄金時代という言葉はいつだって過ぎ去った昔に対して使われるものだ。僕は、苦しかった。

 

学年で最も目立っていた男はエチオピアに渡り、本を出したらしい。クラスのマドンナは当時の彼氏ととっくに別れ、僕らのうちの誰も知らない誰かとデキ婚したらしい。プログラミングの天才だった男はGoogleに就職できそうだったところを蹴ったらしい。当時なら僕より成績の悪かったはずの人々が東大や京大の大学院で活躍しているらしい。

 

 

誘ってくれた知り合いのうちひとりは自分も望む仕事に就けたわけではないといい、プライベートが充実していれば仕事は金を稼ぐためのものだと割り切ることもできると僕を慰めた。彼は休日になるとダイビングだのサバゲーだのと楽しく過ごしているらしい。

 

明日はパラグライダーをやるから来ないか。

 

彼がそう言ったとき、僕は危うく泣くところだった。何も考えていない僕なら二つ返事で乗ったはずなのだ。僕はあらゆることを考え、そして断った。

 

酔生夢死。酔うように生き、夢みるように死ぬ。それこそ今しかないと思った、しかし僕は生き延びてしまった。最も迷惑な、最も汚らしい生存だと思った。醜い感情を抱きたくなかった、ともかく消えてしまいたいと思った。誰のことも恨みたくなかった。

バイ春クロル2019春☆令和記念スペシャル(大嘘) 〜わさびを食った〜

十連休! 何と甘美な響きであったことか!

灰色の日々に心の水分を奪われ枯れ果てた毎日を送っていた僕にとって、この十連休はまさにオアシスであった。

あまり知られていないことだが、十日間というのは二日間の五倍の長さを持っている。すなわちこの期間を使えば、普段の土日で2しか達成できていないことを10まで達成しうるのである。

 

そういうわけで、僕は十日間に渡り恋人と肩を寄せ合いながら甘い時を過ごした……と言いたいところだが、実はそうもいかなかった。というのも十連休の半ば、恋人が友人とのお泊まり会および実家への帰省を敢行したからである。僕は半泣きになりつつ恋人を見送り、ひとりぼっちになった我が身を嘆いた。

 

嘆いたが。

 

ひとりにはひとりのよさがある。十連休は二連休の五倍だ。僕は涙を拭うと呵々大笑して自宅からバイクを回収し、行こう行こうと思っていた場所へ走って行くことにしたのだった。

 

 

そう、それが大王わさび農場である。

大王わさび農場 | 信州安曇野に広がる日本一のわさび園

 

とにかくわさびを使った様々な食べ物に巡り会えるとのことで、常にイケナイ刺激を欲する僕のような若者たちにとってひどく魅力的な場所なのだった。

 

では、バイ春クロルのレポートを始めよう。

 

 

 

 

出発

こんなに遅く出発したのは初めてかもしれない。早朝に出るつもりが鮮やかに寝坊した。

のみならず今回も例によって下道を使ったため、“大都会のチーター”であるはずの僕のバイクは“山道のカタツムリ”とでも呼びたいような様相を呈した。

 

僕のバイク歴ももうすぐ三年になるが、僕は未だ山道のヘアピンカーブを綺麗に曲がれない。こわこわ。後ろから車が来たら即座に道を譲るようにしている。

 

そういう状態だったので移動にはとにかく時間がかかった。

 

16時の時点でこの態度。やばいとは思ったが怠惰を抑えられなかった。

 

何でだろう、いつもより「ゆっくり行きたい」という気持ちが強く、どこか呆けたような感情でのんびりのんびり過ごした。過ごしてしまったのだ……。

 

 

 

クロル、凍える

18時――一般的な旅行の場合、そろそろ夕飯を食って宿でゴロゴロしておきたい時間である。しかし僕はまだ山梨県大月市にいた。

それがどのくらい致命的なことであるかというのは以下の地図を確認すればご理解いただけるかと思う。

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高速でもまだ2時間あるぞ!

 

 

完全に弱気になった僕。

ともかく宿を探すしかない……この際ワガママは言わないから、暖かいところで寝かせてくれ……

 

 

 

ネカフェで眠る こんな寒い夜に

結局、足は勝手にネカフェを探していた。

 

 

まっすぐネカフェに向かうこともできないほどの苦痛を覚えた僕はしばらくコンビニで手を温めた。

 

 

そんなこんながあって、何だかんだで目的地に到着。

まず目的地が「長野県」だということさえ曖昧だったというのだから我ながら驚きである。

ちなみに偶然にも全く同じ日、フォロワーである美人ライダー氏も長野にいらしていたとのことで……そちらは素敵なペンションでお過ごしだったとのことで……

 

 

こうして一日目を終えた。

 

 

 

わさび農場が開かない

おはようございます! 爽やかな朝です!

爽やかとは程遠い状態で目を覚ました僕は、しかし早くネカフェを出ないとどんどん延長料金を払う羽目になってしまうことを察して素早く服を着た。

 

景色は、良かった。

 

股関節の痛みに(マジで)(本当に)声を上げて泣き叫びながらも、僕は目的を遂げるべく走り続けた。そして…………

 

やったー!!!

 

 

食うぞ!!!!!

 

 

死んだ。

 

農場は9:00開園らしかったので朝飯を楽しもうとしたのだが、レストランは10:30開店だった。前日にろくな飯を食っていなかった僕は暴動を起こしそうになったが、風呂に入っていない体で暴動を起こすとオタクの烙印を押されるかもしれないので思い止まった。

 

 

 

わさび漬け体験

朝飯を食うまでの間、せっかくの旅行なので楽しもうと思って申し込んだら自分以外みんなカップルだった。

ひとりでわさびを刻む僕に憐憫の情を掻き立てられたのか、講師のおじさんが世話を焼いてくださった。カップルたちがじゃれあいながら作業する中、僕は無言でただただわさびを叩いていた。

 

 

そういえば、わさびの部位について面白い知識を得た。

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(参考: わさび・山葵のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや )

↑わさびを擦って食うときに使うこの部分、「芋」と呼ぶらしい。

ちなみに、チューブわさびに使われているのはこの「芋」の部分ではなく、更に下のワサワサした「根」の部分。また、チューブわさびの中でも安いものほど西洋ワサビの割合が多く、高級品となるに従って国産わさびの量が増えるとのこと。

今まで「芋」のところを「根」だと思っていたので衝撃的だった。

 

 

 

わさび食っていい? ダメって言われても食うけど

……。

しかしここまで来ておいてわさびを食わずに帰ることはできないので、60分くらい構わんと思って並んだ。とはいえさすがにそんなに待たされることはなく、何だかんだ入れた。

 

 

 

 

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(参考: 宇宙のイラスト(背景素材) | かわいいフリー素材集 いらすとやわさび・山葵のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや )

 

 

「芳醇」という言葉をわさびに対して使ったことはあるだろうか恐らくないだろう僕もここでこの大王わさび農場産わさびを口へ運ぶ前までは使ったことがなかったのだからまずこのわさび丼は自らの手でわさびを擦り白米の上へ乗せられた白胡麻や海苔や鰹節や醤油と和えながらいただく形となっているのだがわさび以外のシンプルながらに香り高い具材の数々が普段なら引き立て役であるはずのわさびを“引き立てる”のであるしかしどれほど脚光を浴びようと名脇役としての矜持を忘れないわさびはあくまで自分の責務を全うせんとするかのようにただ静かにわさびとしてそこに“在る”凛とした刃の如き辛味そして労わるように吹き渡る甘味それらは質のいいわさびが丁寧に擦られ空気をたっぷり含んだときにのみ人の舌を喜ばすそうしてわさびの味わいを充分に堪能したころ突如として白米の隙から姿を表すのがなんと鮪でありここでわさびは己の“いつもの場所”たとえば行きつけのバーのカウンター席たとえば星のよく見える公園のベンチそういった“いつもの場所”へと帰るかの如くその辛味を引き立て役としての風味へと変貌させる彼は唯一無二の名脇役にして空前絶後の大和薬味なのだダダダだだダ

 

 

その後のことはよく覚えていない。

 

講師のおじさんがオススメなさっていたわさびソフトを食ったり(わさびソフトを食うときは同行者と喋らず黙って食うと鼻からわさびの香りが抜けて美味しいらしい(僕は同行者がいないので優勝した))……

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夜が寒すぎるので服を買おうとして幼児服店に入ったり……

 

東京に帰ってきちゃったのかな? みたいな店ばかり回ったり……

 

服と土産を郵送しようとして奔走したり……

 

なんか色々あった。

 

こういう訳の分からん動きをする羽目になるのも無計画ひとり旅の醍醐味であり、また最悪な点でもある。無駄なく楽しく過ごすには計画が必要だ。しかし無駄を楽しむためには計画なんぞしなくていい。

 

ドヤ顔で語るクロル。しかしそれはこれから起こる悲劇物語の序章に過ぎなかった……(「金田一少年の事件簿」で第一の事件発生時によく出てくるモノローグ)。

 

 

 

こんなネカフェなんかに泊まれるか! 俺は健康ランドに泊まらせてもらうぜ!

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ネカフェ泊もそろそろ卒業したくなってきた僕は某フォロワー氏の提言に従って健康ランドへと向かった。そもそも僕は二日間に渡って入浴できていなかったため、そろそろ体臭が限度を迎えてきてもいたのだった。

 

この「信州健康ランド」には、普通のホテルのように部屋を借りて泊まれるコース(1万円ちょっと)と、仮眠室と呼ばれる雑魚寝部屋で寝させられる代わりに格安で素泊まりできるコース(3000円ちょっと)とが用意されていた。

しかも(偶然にも)バイク乗りを優遇してくださっている施設だった。雨に濡れない屋根付き駐車場だの、うっかり雨に打たれてしまったライダースジャケットを乾かしてくれるサービスだの、ヘルメットとブーツとをしまっておける大きめの靴箱だの、とにかく「バイクで来ても安心」を売りにしていた。

 

いずれにせよ寒さに凍えつつあった僕は「仮眠室が混んでいるかもしれませんが……」というスタッフの声に被せるようにして「構いません! 泊めてください」と雄叫びをあげた。スタッフはやや面食らっていたようだった。

やっとのことで風呂――僕はそのときかなりきつい空腹やら眠気やらをも感じてはいたが、ともかく自分の体臭が周囲の草木や花々を枯らしているという哀しみに耐えられなくなっていた。そこで全てを放棄してまずは風呂へと向かったのであった。

 

 

二時間半も入浴したの人生で初めてだが?

 

頭を3回、体を5回、念入りに洗ったせいだったのだろうか。はたまた全ての湯船とサウナとを体験して回ったせいだったのだろうか。ひとり旅の素晴らしさを噛み締めつつ、僕はひたすら風呂に浸かった。結果、とんでもない時間が過ぎていた。

 

けれども飯は食えた。

 

 

何のことはない酸辣湯麺紹興酒であった。けれども僕は全身が溶けるほど感動した。風呂、そして飯。やはりこれらは蔑ろにしちゃいけないものだったんだ。ありがとう、健康ランド。ありがとう。

 

などと考えながら、僕は目に大粒の涙を浮かべつつ腹を満たした。思えばこれは嵐の前の静けさ、地獄の門前の穏やかさだったのかもしれない。

 

 

 

寝ていいですか

 

……………………。

 

寝てもいいですか????????

 

風呂! 飯! サイコー! などと叫んでいられたのも束の間!!!!!! 寝かせてください!!!!

 

そこで思い出す、スタッフさんの「仮眠室が混んでいるかもしれませんが」というお言葉。なるほど、混んでいるなんてものではなかった。眠そうな顔をした人、人、人。

彼らは起きているのか寝ているのか分からないような表情を浮かべたままブランケット片手にフラフラしているので、僕は危うくぶつかって階段を転げ落ちそうになった。

 

3人がけのソファを丸ごとベッドとして占拠しているお姉さんもおり、共用廊下の床にブランケットを敷いて寝ている人々もおり、ちょっと危ない地域に来てしまったような雰囲気だった。

 

 

そう、旅行とは本来、計画立てて出発するもの。流浪の民を気取って自由に出かければこういう目に遭うのも当然。嫌ならば宿を取れ。宿を取るのが面倒ならば寝られない夜を覚悟しろ。そういうことだったのだ……僕は強くなった。なっていない。

 

 

正直ちょっとかなりとてもめちゃくちゃ眠かったが、10時に健康ランドを出ないと二日目料金が発生して延長戦に持ち込まれてしまうためとりあえず退出した。仕方あるまい。

 

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外で軽く仮眠をとり、長野の朝の爽やかな空気を顔に浴びつつ目を覚ました僕は、帰りも下道で……

 

帰るとなるとまた8時間かかりそうだったのでおとなしく高速道路に乗った。

 

 

 

高速道路とかいう道路めっちゃすごいね

 

約一時間半で山梨県……激しいカーブもなく道は平坦、さらに昼前なのでさほど混んでおらず、快適アンド快適だった。僕はなぜ下道で旅に出たんだ? ハイウェイを讃えよ。

 

まあ僕はこういうタイプの人間なので本当は高速道路のSAとかPAとか怖いんですけどね……。

 

 

 

そして

15時ごろ帰宅!!!!!

こうして僕の二泊三日バイ春クロル旅行は幕を閉じたのだった。

 

そしてこの直後、自宅周辺で雷と豪雨が始まったのだった……クロル、もしかして晴れ男なんじゃないだろうか? 強運すぎてキョってなった。

 

十連休。普段の土日であれば2くらいしか……否、最近は2すら達成できていないバイ春を、僕は今回で10近くまで達成できたんじゃないだろうか。

 

バイクに乗ると僕はいつも“遠く”へ行きたくなる。それはきっと、日常からの逃走・逃避・逃亡を心のどこかで望んでいるせいなんだろう。そういう意味で、十連休はいい“逃げ”の機会だった。どうせいつかは戻ってこなきゃいけなくなる……やがて戻ってくることになる……おのずから戻ってきてしまうとわかっていても、一時的に“逃げ”られるというのは悪くないことだと思った。

 

十連休、毎月やってほしい。

 

「平成最後」の瞬間、僕は

「平成最後」の瞬間、僕は酒に酔った頭で恋人とふたり「トポロメモリー」というゲームをしていた。

トポロジーで遊ぶ?理系ボードゲーム制作プロジェクト! - FAAVO東京23区

 

トポロジーは、何らかの形(かたち。あるいは「空間」)を連続変形(伸ばしたり曲げたりすることはするが切ったり貼ったりはしないこと)しても保たれる性質(位相的性質(英語版)または位相不変量)に焦点を当てたものである[1]。

 

(参考: wikipedia:位相幾何学 )

 

二戦くらいしたあとでゲラゲラ笑いながらふと時計を見ると、23:59:25を指していた。わぁ、と思った。特に何をしようと思っていたわけでもないが、わぁ、と思った。

 

「おぅ、平成が終わっちゃうぞ」

「へぇ。……もう一戦する?」

 

嗚呼、恋人にはこういうところがあった。クリスマスやバレンタインデーには興味を示さない、僕の誕生日のみならず自分の誕生日ですら忘れかける。「記念日」とか「特別な日」とか「区切り」とかいうものに全く関心を持っていないようだった。

よって当然、あの子は「平成」が「令和」へと切り替わることについても特殊な意味を見出していなかったし、世に溢れ嫌でも目に入るはずの「平成最後」という響きに一瞥さえくれなかった。

 

恋人が「平成最後」という言葉を(もちろん皮肉として)使ったのは後にも先にも一回だけ、トポロメモリーで遊びだす直前に「平成最後」の晩餐を味わったときだけであった。

 

※ちなみにこのあと例によって泥酔した僕が引っ張り出した2万円を恋人は慎ましく僕の財布に押し戻し、自分の財布から全額を支払おうとした。自分が払うのお前には払わせないのといった壮絶な戦いを繰り広げたのち、確かワリカンになったんだったと思う。我が恋人が無銭で高級肉を貪るタイプの人間であるという誤解を招かないよう、念のため。

 

一方、僕は何となく「平成最後」という言葉について落ち着かない気持ちを抱いていた。

僕は平成■■年生まれなので、人生のうち全てを「平成」に包括されていた。そう、「包括されている」が「包括されていた」になってしまったのだ、2019年4月30日から2019年5月1日という「区切り」の瞬間をもって。それはそれなりに大きなことのような気がした。自分の時代が「過去」になったような感覚だった。

 

「平成」の中には僕の中学時代も高校時代も大学時代も含まれていたし、昨日までの全てが含まれていた。つまり、恋人と出会ってから今に至るまでの……必死こいて好きだと伝えて、半ば無理やり恋仲になって、さんざん傷つけて……といった過程の、全てが含まれていた。

時代が切り替わることでそれらが消えてしまうということはないのだけれども、何となく妙な……頼んでもいないのに「区切り」を用意されたような、何らかの何かを得なくてはならないと急かされるような、じわっとした不安を覚えた。

 

そんな不安に後押しされてしまったのだろう。僕は恋人に、「平成」の間じゅう何度も訊ねつづけたことをまたしても訊ねてしまった。

「僕のことは好き?」

 

そして恋人はあくまでも、「区切り」を気にしない人間だった。

「■■■■■」

「平成」の間ずっと示しつづけた答えを、恋人はまた繰り返した。

 

それから僕らは長いこと話した。そして僕は、恋人が僕のことを“単純に”嫌っているというわけじゃなさそうだということに気づいた。寡黙な恋人の漏らすちょっとした言葉を繋ぎ合わせて、僕自身の自己嫌悪的な自己中心的な感情をいったん抑え込んで、恋人自身の自己評価を紐解いて、……何だか、僕は糸口を掴んだような気がした。

しかしその糸は、今まで僕が摘み上げようとしていた糸よりもだいぶ細く脆く、僕個人の努力云々ではどうしようもないものかもしれなかった。僕が手出しすればするほどそれは僕の独りよがりになるらしかった。僕の存在自体が糸を切り落としかねないのだった。

 

令和、令和ねえ。

元号の変化が僕にも変化をもたらす、なんてことはないんだけれども、たまたま僕の変わるべき時期と元号の変わる時期とが重なったのかもしれない、とは思わなくもない。今までの僕が示してきた態度は、恋人の抱える苦悩と対応していなかった。となれば、僕はまだまだ頭を回すべきだ。もっと早く気づくべきだった……しかしそれは今更、である。

 

僕は僕自身の在りようを千変万化させてみつつ、「僕」そのものの性質と見つめ合ってみなくちゃならないらしい。やっていこう。人生トポロジー