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世界のCNPから

くろるろぐ

「紳士的」に関する私論

僕はしがないひとりの人間である。

だから僕は童貞全体を代表しようとか、男の言い分をまとめようとか、何かを批判しようとか、そういうことは考えていない。

しかし、思うことがあるので、つらつら独り言を言っておこうと思う。

「『紳士的』行動」

女の子と連れ立って道を歩いている。車道側を歩く女の子の華奢な体を、汚れたワゴン車が掠めていく。
女の子と食事をする。それなりにいい料理で腹が満たされ、そろそろ出ようかという空気になる。
女の子がいかにも重そうな荷物を持って歩いている。

多くの人は、以上の場面を頭に思い浮かべたとき、「昨今の世の中でこういう場面において『男』が期待されている動き」というものを想定できてしまうと思う。
こういう場面に遭遇したことがない人であっても、何となく「ここで『男』はこうしなきゃいけないんだろうな」という「期待」を察することはできてしまうと思う。
咄嗟に想定「しなかった」人でも、想定してみろと言われたら想定「してみることはできてしまう」と思う。

「男」は車道側へ出た方がいい。
「男」は颯爽と飯代を払った方がいい。
「男」は荷物を持ってやった方がいい。

僕は、こういうのが苦手だ。
こういうのを想定できてしまうこと自体が苦手だ。

ありがたいことに僕には僕と遊びに出かけてくれる人というのが男女ともに一定数いる。その中には、女の子に対して「男が期待される『紳士的』行動」を何の疑問もなく起こせる男や、男に対して「男が期待される『紳士的』行動」を何の疑問もなく期待する女の子というのがいる。

僕は、そういうのが苦手だ。
そういうのを当たり前のようにしていること自体が苦手だ。

苦手だ……

どう苦手なのか

僕が以上のような風潮を苦手とするのは、それが「性別と濃密に絡められているから」と、「義務ではないはずなのに義務であるかのように扱われているから」であると思われる。

「男なのだから女を大事にするのは当然」という風潮に則ると以下のようになる。

男だって車に轢かれたら痛い、けど男は女を守らなきゃいけないから……
男だって無限に金を持っているわけではない、けど男は金を払わなきゃいけないから……
男だって重い荷物なんか持ちたくない、けど女を疲れさせてはいけないから……

これを少し言い換えてみたい。

自分だって車に轢かれたら痛い、けど自分は相手を守りたい……
自分だって無限に金を持っているわけではない、けど自分が金を払いたい……
自分だって重い荷物なんか持ちたくない、けど相手が疲れてしまうだろうから……

「性別」と「義務」、これらから離れただけで僕の心はだいぶ楽になった。つまりそういうことなのだ。

男だから女を大事にしなきゃ」という言い方をするから、なんだか何かが台無しになるんじゃないかと思うのである。

扱い方の問題

こう、なんというか、「個人の思いやりからくる行動」と呼ぶべきようなものを、なぜか「男だから」という性別上の義務であるかのように扱って、「男がそうするのは当然」とする、この感じがどうにも苦手なのだ。

誤解しないでいただきたいが、僕にだって思いやりの気持ちはある。車道は危ないとか、このくらい奢ってやりたいとか、荷物くらい持ってやりたいとか、そういう気持ちは素直に持っている。

けれどそれは、「男だから」「女だから」というのとは関係ないものだ。相手が男だろうが女だろうがそれ以外だろうが、僕はまったく同じように、「僕が車道側にいよう」「僕が奢ろう」「僕が持とう」と思う。

そう、他人を思いやりたいのは、「」なのだ。

しかし世の中では、それが「男」と「女」である場合、「男による女への親切」となってしまい、「人による人への親切」とはならない。
「人」と「人」ではなく「男」と「女」とに切り分けることによって何が起こっているのかというと、そこに方向性が生まれてしまっているのだ。

「男から女へ」。「女から男へ」。

「親切」における男女差

また、そこには男女によって役割の差みたいなものが用意されている。
(あんまり上手い例を思いつかなかったのでアイデアを募集します。)

いや、わかっている。こんなものは昔々から「男」「女」に付随するイメージや歴史的価値観によって見出された「役割の差」である。

しかし、しかし。

「人が人にどう親切を示すか」というのが大事なのであって、「男だから(女だから)こうしなきゃいけない」というのが必要なんだろうか? と、僕は思うのである。

というかそもそも性別というのは「男」と「女」だけではない。性自認は千差万別である。まずその時点で「男だから」「女だから」という切り分けは無意味じゃないかと思う。
そしてそういった性自認と個人の主義主張主張とを関連づけること自体もナンセンスなのではないかと思う。自分が何者であろうが、やりたいようにやればいいじゃないか。

勘違い野郎になりかねないのも怖い

これはまた違う話だが、例えば特に恋心を抱いているとかでもない女の子が目の前で突然全裸になり「男の人はこういうの好きでしょ?」などと言い出したら、まぁ僕ならヒエッと叫んでその場を去ると思う。
そこまで極端じゃなくても、例えば女の子に「いきなり頭を撫でられる」とか「いきなり肩を叩かれる」とかして、「男の人はこういうの好きでしょ」などと言われたら、なんというか「ナメないでほしいぷに……」という気持ちになると思う。

要はそういうことだ。車道側を歩いてあげて、もし「なんでこいつ紳士ぶってんの気持ち悪……」みたいなことを思われたらと思うと恐ろしい。

いや、それが「僕の」親切心から起こした行動だったなら、そして相手もそれを承知してくれるなら、傷は浅いのだ。これで僕が「男として」起こした行動であったら、もしくは相手に「こいつ男らしい行動を取ろうとしているけど私はそういうのをこいつに求めるつもりないし」みたいな感情を抱かせたとしたら、それはあまりにも……なんというか、恥ずかしい。

つまり、「男」「女」であることを必要以上に強調すると、それに伴う形でそういう男女関係的な気まずい何かが生まれてしまう気がするのである。僕はそういうのにも耐えられない。

まとめ

もちろんこういう「男だから」「女だから」という価値観に則ることが好きな人は則ればいいと思う。実際そういう人もよく見かけるので、そういう人たちのことを否定したいわけではない。

しかし、「こうだからこうしなければならない」という圧力を世間の風潮によって与えられることで、疑問や苦痛を感じる人間もいるんじゃないか……というところには留意してもらいたいなぁというのが、結局のところ僕の独り言の趣旨である。

僕は僕なりの親切を相手へ贈りたい。
そういうのが(男性名詞であることを離れて、どんな性別の人間でも)「紳士的」なんじゃないかと思う。


とかいう話ばかりしているとナンダコイツと思われそうなので、ここで僕がこないだ撮った急須の写真をご覧に入れよう。
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よくない?
ご静聴ありがとうございました。