世界のCNPから

くろるろぐ

先輩が過労死していなかった

以下は小説なので全てフィクションである。

 

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9月23日は日曜日、世間では三連休の真ん中だったと思う。

 

しかし僕は前々から言われていた、日曜日と月曜日は出勤してほしいと。今の状況からして、呑気に休んでいる暇はないと。

仕方あるまい、と思った。事実、僕の所属する部署が任されている仕事(主に、四つ葉のクローバーのみを栽培している畑に三つ葉のクローバーや別の雑草が混ざり込んでいないか探す仕事(言うまでもないが暗喩である))は、新人の僕にもはっきり把握できるほど難航しており、一歩間違えばお客様(四つ葉のクローバーを心待ちにしている妖精たち(言うまでもないが暗喩である))に甚大な被害を及ぼすかもしれないというところまできていた。

 

さて、配属から3ヶ月の僕は基本的に先輩の作業を基にしながら手伝うような形で仕事をしている。そして毎年この時期は忙しいそうで、朝8:50から夜22:00過ぎまでの労働がほぼ習慣となっている。9月23日の日曜日、僕はその習慣に倣って8:30に職場に来た。

 

誰もいなかった。

 

上司も、先輩も、いらしていなかった。

僕は日付か場所かを間違えたんじゃないかという気持ちになりつつ、とりあえず自分だけでもできる仕事(クローバーの仕分け)を進めはじめた。

 

10時。上司到着。

おはよう、と上司。僕もおはようございますと返した。そしてご自分の作業を少しばかり進めた上司は、それからふといなくなった。

 

誰もいないまま、作業も割り当てられていないまま、1時間が過ぎた段階で気が狂いはじめた僕は、とりあえず先輩の方にLINEをしてみた(僕は電話が大嫌い)。

 

既読もつかない。

この時点で11時すぎ。

 

いよいよ泣きそうになった僕は上司に電話をした(僕は電話が大嫌い)。

 

「あの、今どちらにいらっしゃいますか?」

「あ、ごめん、すぐ戻る」

 

戻ってきた上司は僕に作業をくださった。僕はその作業をとりあえず進めた。しかし「終わりました」という頃には上司がまたいなくなっていた。……昼飯に出ていかれたまま戻られないのであった。

 

それからまた1〜2時間を潰しつつ、上司がお帰りになるのを待った。「今日はもう帰ります」とでも書き置いて帰ろうかとも思ったが、怖かったので居残った。

それから戻った上司は、定時までで終わりそうな分量の仕事を僕に申し付けたのち、「あとの作業は先輩さんが作業したものを使わなきゃいけないので進められないから、今日はここまでにして、明日も休みにしよう」と宣言した。

 

そして月曜にもまだ、先輩からの返信はなかった。

 

僕はさすがに心配になった。先輩は死んでしまったのかもしれないと、本気で思った。先輩は僕より1つだか2つだか年上にすぎないのに、現場で最も知識のある存在として、最近異動してきたばかりの上司や無能な部下(僕のことだ)の世話をしてくださっていた。それに先輩は僕よりもずっと遅くまで残業して、翌日は有休を取る、という生活をなさっていた。不条理な環境と不規則な生活が、先輩の命を蝕んだとしても不思議ではなかった。

 

先輩は死んだのかもしれない。あるいは死に近い何処かを彷徨っているのかもしれない。僕は素直にぞっとした。とはいえ、通信機器が発達したゆえに、ちょっとした音信不通が死を連想させるようになった、というのは現代病だなあ、なんてことも思った。

 

なんてなおざりなんだろう、死に対して。

人は死んだら生き返らない。それは恐ろしくもあるが、同時に「解放」の二字を意味してもいるように思う。死んだら生き返らない。死んだら生き返れない。死んだら生き返らなくて済む。死んだらもう生きなくていい。世の中から自殺者が減らないのは、自由と安寧とを感じさせる芳醇な香りが、死というものから漂いつづけているせいなんじゃないだろうか。

 

そして迎えた9月25日、つまり火曜日の今日は通常の平日だった。先輩が死んでいたとしたら、今日の朝には連絡が入るだろうと思った(これで死んだことにさえ気づいてもらえないような会社だったら、いよいよオシマイだと思った)。先輩の席を含む、他の社員たち全員の席は、始業ギリギリまで空っぽのままだった。

 

8:50の鐘と同時に、クローバー畑の入口が開いた。顔を覗かせたのは、死んだと思っていた先輩だった。

 

先輩が過労死していなかった。

 

僕はてっきり、自分の脳が喜びに満ちるかと思っていた。僕は価値観がどれほど違っている相手であっても「嫌い」にはならないタイプなので、先輩のことも(気が合わないと感じていながらも)別に嫌ってはいなかったのだ。だから生きているとわかって少しはホッとしたり安心したりするものかと思っていた。

しかし、僕はただぼーっとしていた。あれ、生きていらしたんだ。じゃあ日曜日はどうなさったんだろう。

 

先輩は笑いながらお答えくださった。

「体が重くて頭がグルングルンして、2日間で46時間くらい寝っぱなしだったみたい、何の記憶もない」

 

……相当だ、と思った。

僕は確信した。先輩はこのままだと死ぬ。そう遠くないうちに死ぬ。けれど僕には先輩の生き方を咎めることなどできない。終電まで残業し、翌日に吐き気を催して有休を取る、それが先輩のやり方で、先輩の誇りなのだとしたら、僕にそれを止めることはできないのだった。

 

同時に僕はいつもの嫉妬を感じた。

病弱で悩まされている方々は少し耳を塞いでいてほしい、きっと不快になると思うから。

 

体の弱い人っていいよな。

 

「後輩を休日出勤させたうえで無断欠勤を決めた」はずの先輩は、「体調不良」の四字熟語によって完全に無罪判決を受け放免された。上司たちからは優しい言葉をかけられ心配され慰められていた。さて、僕は? 僕の人権は? 休日にただただ会社に居座らされ、平日でもできた程度の仕事をちまちまやらされた僕の立場は? 先輩は僕に謝罪することもしなかった。当然だろうな。健康な後輩の休日が1日潰れたからって、先輩にとって何になるっていうんだろう?

 

僕だって周りの人と仲良くできずに無理やり笑顔を作っては、全く興味のない仕事を片付け、興味がないから失敗し、興味もないのに怒られ、トイレで鼻からゲロを吐き、精神安定剤オーバードーズして、それで何とか会社に通っている、けど僕は顔色が極端にいいことで有名で、小学生の頃から「仮病でしょ?」と何度言われたことか、だから僕は「体調不良」の四字を使うこともできない、使おうと思えば使えるのだろうけれど、僕は昔から「丈夫」で、ちょっとやそっとの「体調不良」くらいなら動ける、動けてしまうから、逆に「自分は仮病を使ってしまっている」という罪悪感の方が耐えきれないので、結局「体調不良」を発動することもできないでいるのだ、という、だから、ちゃんと倒れることのできる人っていいよな、体の弱い人っていいよな、……なんて非道いことを言ってしまうのであった。

 

嘘だよ。

 

先輩のことは素直に心配した。重病でなくてよかったと思ったし、死んでほしかったとは思っていない。それは本当だ。けど、なんだろう。

僕が倒れたかったな。

 

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ツイッターで愚痴を言いすぎて、「嫌ならとっとと辞めたらいい」「次の仕事が見つかるまでは〜とか呑気なことを言う意味がわからない」などの空中つぶやきを見かけるようになってしまったので、ツイッターから少し距離を置こうかななどと思っている。浪人の時期に同じことをして、同じように人々を不快にし、それがきっかけでそこそこ絡みのあったフォロワーさんからブロックされたことがあったので、ちょっとトラウマなのである。

愚痴は吐き出したほうがいいと言うけれど、僕のように常に垂れ流すのもよくなかろう、少しは自分の中に溜め込んで処理できるようになろう、と思っている。

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以上は小説なので全てフィクションである。