世界のCNPから

くろるろぐ

1時ですよ

しばらく考えてみたが、やはり僕は他人の“表情”が好きなのかもしれない。

 

から始まる数千字の記事を、僕は風呂に浸かりながら書いていた。すっかり茹で上がって頭が痛くなった。そして僕はその記事を、たったいま削除したところだ。

 

消してしまった記事の書き出しは大体こんな感じだった。

「「人の表情」という単語から発して、僕のいつもの連想ゲームが始まった。すると今までお会いしたことのある方々の、「顔」ではなく「表情」が思い出されてきた。思い返してみれば、僕はどんな方に関しても、必ずひとつは「好きな表情」があるらしいということに思い当たった。せっかくだから、それらをひとつひとつ語ってみようと思いついた。」

 

それから僕は人々の表情について、いついつにお会いした際の、この瞬間の、この角度の、この表情がまさにドンピシャで好きだった、というようなことをつらつらと語っていた。

クロルの中身と邂逅したことのある人々についてはほぼほぼ触れていたはずだ。にちゃにちゃした文体で、暗喩と直喩とを組み込み、懇切丁寧に、じっくり……ねっとり……さぞや……さぞや、気味が悪かろうと思う。僕も非常に不気味だと思った。こういうことをするから友達がいなくなるのである。消しておいた。

 

それに、ここでそれを解説したら、皆様の表情に影響を及ぼしかねないと思った、というのもあった。

僕が思い出した表情というのは、人々の、本当にふとした瞬間の表情ばかりだった。恐らく本人たちも全く自覚してらっしゃらないだろう。

それを僕がここで解説してしまえば、本人たちに気づかれてしまう。そして、気づいてしまえば、その表情には嘘が含まれるようになってしまう。僕はそれが惜しいと思った。今までどおり、ありのまま、何も気にせずにやっていってほしい。僕はありのままの皆様のことが好きなのだ。

 

さて。

それにしても、僕が好きだと感じた表情は、いわゆる笑顔というやつばかりでもなかった。「表情から色が消える」、などというと詩的に過ぎるかもしれないが、僕はそういう表情ばかり拾ってしまっているようだった。

すっと無色になった相手の表情の中に、相手の思想や信念や経験や知識や価値観の片鱗みたいなものが、じゅっと滲み出る瞬間というのがある。

僕がいちばん好きなのはどうもそれらしいのだった。

「人と話しているときにふと会話が途切れる」ことを、フランスの諺で「天使が通る」というらしい。僕の好きな表情は、その天使がちょうど相手の顔を撫でたんじゃないかと錯覚されるような、そんな表情なのだった(やっぱりロマンチックになってしまって本当に恥ずかしいんだよな)。

 

とはいえ、一般社会で生活していると、「いつも笑顔でいよう!」というのをキャッチコピーとして使っている場面を見かけることがある。御察しの通り僕は、いつも笑顔でいることだけが正しいことだとは思っていない。

 

人の顔面というのは人体の中で最も他者に晒されている箇所であるから、人と人とが交流せねばならない場面において重要な役割を果たす箇所である、といえる。例えば「相手の顔面に笑顔が浮かんでいるということは、相手は自分に敵意を持っていないということだ」というふうにコミュニケーションが取られることになる。

 

「人が本当に心から笑っているときというのは(それがちょうど笑っている一瞬間だけに限られた話だったとしても)楽しいときか嬉しいとき、つまり幸せなときであり、そこに敵意や憂鬱や苦悩はないはずだ」というのがまず前提として用意されているので、浮世ではそれが逆転して「笑顔でいる人は楽しんでいるのだ、敵意を持っていないのだ、つらい思いをしていないのだ、幸せなのだ」というふうに認識されるわけである。

だから「いつも笑顔でいよう」というキャッチコピーが登場するんじゃないだろうか。その人が心から幸せでなければ意味がないのに、笑顔という「幸せを表現する表情」を見ることによって安心しようとするのだ。「この人は今ちゃんと楽しめていて、私に敵意を持っていないんだわ。幸せなんだわ。安心ね」。

 

もちろんそれは、人が相手のことを見た目(表情や言動など、いわば「外側」にあるもの)からしか知ることができないせいなので、仕方のないことではある。それを逆手にとって、常に笑顔を浮かべて、相手の警戒を解きながら物事を有利に進めることもできるので、使いようだとも思う。

とはいえ、「いつも笑顔でいよう」というキャッチコピーには、「笑顔を浮かべておきなさい。私を安心させなさい」という思いがあるように感じられてしまって、僕としてはあまり安易に頷けないところがあるのだった。

 

そんな笑顔で安心感を得ることよりも僕は、相手がふとした瞬間に見せる無色透明な表情の中に、相手の人生の端っこを少しでも垣間見ようとしつづけること、決して知りえない相手のことを知ろうとしつづけること、の方が大事なんじゃないかなと、思う。

 

見てください。

1時ですよ。

明日も仕事です。

 

物事を考えるのは楽しい。できればずっと夢想していたい。ちなみに考え事をしているときの僕の表情は生ゴミに似ているので、あまり人には見せたくない。