世界のCNPから

くろるろぐ

ご参考になれば幸いです

 

今日の記事はこのネタで書こうというのを朝の時点で決めていた。ので、頭痛を抑えながら書く。

 

それは70〜80歳くらいのおじいさんだった。バスに乗ってきた彼は僕の隣にそっと立った。そして不意に、「お勉強ですか」と声をおかけくださった。

僕が本を閉じながら「ええ」と答えると、彼は「1年目は勉強が大事ですからね」とおっしゃった。そして、ご自身の話をお始めになった。

 

曰く、彼は60歳で慶應義塾大学に入学したらしい。「受験を決めたのが3月で、入試は4月に行われるので、勉強時間が25日間しかなかった。毎日2時間睡眠で勉強していた。やればできるもんだ」とのこと。

 

ちなみに、60歳で慶應、というとこんな本があるようだ。

働きながら60歳で慶應義塾大学を卒業した私の生涯学習法

働きながら60歳で慶應義塾大学を卒業した私の生涯学習法

 

数時間前、本屋へ立ち寄ってチラリと見てきた。「60歳で慶應義塾大学に合格!」ではなく「60歳で慶應義塾大学を卒業!」というタイトルなのが気になるところである。

調べると、この筆者が卒業なさった「慶應義塾大学 通信教育課程」というのは、入学がそこまで難しくない代わりに卒業率が3%となっているらしい。よく卒業できたな……と確かに思う。で、この本はそうした筆者の勉強法だとか気の持ちようだとかを書き連ねた本となっている。

別にステマではないし、記事にも関係はない。単に「60歳 慶應」で調べたら出てきたのでご紹介しただけだ。

 

話を元に戻そう。

彼はその他にも、「地下鉄サリン事件のときに霞ヶ関のあたりにいたから、霞ヶ関駅に対する特別措置を体験した」というお話や、「野球監督になるためにニューヨークへ行ったが、色々なタイミングが悪くて諦めて帰ることになった」話、「20年も前に女房に先立たれて馬鹿息子2人を育てながら自分のことをしてきた」というお話、などなどを、僕より後からバスに乗ってきて僕より先にバスから降りていったそのたった10分間ほどで披露してくださったのであった。

 

さて、彼が降りていったのち、僕は(見知らぬ人との突発的な会話によって生じた頭痛をかすかに感じながら)ぼんやりと考え事をしはじめた。話の内容もまあ面白かったと思ったが、どちらかというと、彼の話しぶりのことを考えていた。

 

僕の隣で嬉々として「図書館に入り浸ってずっと勉強していた」と語るおじいさんは、本当に目をキラキラさせていらした。60歳にして慶應義塾大学に受かった、という話を人に聞かせることが嬉しくてたまらないようだった。

 

バスを降りるとき、彼はこう言い残した。

「ご参考になれば幸いです」。

僕は驚愕し、そして感心した。

自分の人生を、見知らぬ他人に語り聞かせる度胸……その人生を、誇りつづけることのできる自尊心……そして、ぜひ参考にせよと言い残す、その自信……。

情けないが、やはり羨ましいと感じた。

 

僕も80歳ほどまで生き延びれば、こうして自分の人生の中からキラキラした部分を拾い上げながら、いい人生だったと認め、そして人に語れるようになるのだろうか。

それとも今の僕がそのまま年齢だけを重ね、自らの汚点を恥じらいながら余生を過ごすことになるだけだろうか。

このまま生き延びて、おじいさんほどの年齢になったとして、僕は自分の人生を赤の他人に語れるのだろうか。

 

……。

おじいさんの話がいわゆる現実的な真実であるという保証はない。僕という聞き手を得て奔り出た虚栄だったのかもしれない。あるいは脳の生み出した幻想の物語だったかもしれない。ヒトは自分自身の記憶を都合のいいように書き換えることができるらしいから。敢えて書きはしないけれど、この記事に挙げた話の中にも、気になる点はいくつかある。

 

けれど、それでもいいんじゃないかと思った。

 

「自分は価値ある人間である」と自分自身に信じさせるために、己の理想の姿を己自身の姿だと思い込んでみる、というのは、(他者と関わらない自己内世界の範囲において)罪に問われない行為だと思う。嘘でもいい、現実と離れていてもいいから、自分は本当はすごい人間なんだと思っておく、というのは、一種のやり方なんじゃないだろうか。

 

もちろん、その虚像を自分と同一視しすぎるあまり、人に自慢したり人を蔑視したりするようになってしまうと、「(他者と関わらない自己内世界の範囲において)」という括弧書きを破ることとなるので、それは気をつけなきゃならないようにも思う。あくまで自分の中で、理想の自分を抱いておく、というような話である。

 

今回、僕はおじいさんのそうした自己内世界を覗き見させてもらってしまった形なわけで、僕としてはいい経験だったなと思ってしまうのであった。

 

どこまでが本当でどこからが嘘だか全くわからない上、全くわからなくても問題のない一期一会の出会いだったからこそこんなに呑気に構えていられるんだよな、なんてことも思うけれどもね。

 

とかく、人の話を聞くのは面白い。そして聞いた話を基にしながら、いろいろ考えるのも楽しいことだ。例えば、と、マジでめっちゃ頭が痛いのでここで記事を閉じる。