世界のCNPから

くろるろぐ

煮え湯の中を生きてゆく

例えば僕だって熱い風呂が嫌いなわけじゃない。けれどそれは「風呂」という、自分の意思によって入ることのできる場所だからだし、自分の意思によって出ていくことのできる空間だからだ。

 

これが熱湯の中にいきなり後ろから突き落とされるような事態だったら、そしてそれを人々が面白がって笑うような雰囲気だったら、僕はピョェピョェ声をあげて泣くだろう。

 

あるいは常に熱湯に浸からなければならない運命に陥ったとしたら、日々を熱湯の中で生活しなければならない状況に陥ったとしたら? とてもじゃないが笑ってなどいられないだろう。

 

こんな話はどうだろう。

 

彼は金魚鉢の中にいる。鉢の中には溢れるほどの水が注がれている。鉢の下にはカセットコンロが置かれている。ある瞬間、誰かがコンロのつまみを回す。金魚鉢が熱されていく。

彼は朱色に緋色に染まる自分の肌をただ眺め、回らなくなる自分の頭と舌とを近くに遠くに意識する。瞼から零れるのは汗か涙か、助けを求める声さえ湯気の中に熔けていく、それでも湯は面白がるように温度を上げる。誰かが薪を足している、否、コンロの火力を上げている。金魚鉢が、つまり世界がグラグラ揺れる。

充血した目は金魚鉢の外の世界を求める。この薄くて割れやすいはずの硝子の向こうには清浄な冷気が満ちているというのに、煮えたぎった湯の中から飛び出せない彼は熱い水蒸気を吸い込み、そして噎せる。胃液と水垢の混ざった彼自身の吐瀉物が湯の中でボコボコ踊る。

 

金魚鉢の外で誰かが笑っているような気がする。いや、本当は誰も彼のことなんか見ていないのかもしれない。誰もかれもそれぞれ熱湯に、あるいは氷水に溺れているのかもしれない。誰もかれもほかの誰かのために泣いてやれない、涙は蒸発してしまう、だからわがままを言っちゃいけない、と彼は声を抑えるけれども、鼻に口に流れ込む熱湯を押し出しながら情けない喘ぎ声をあげることだけは止められようはずもない。

 

もういい終わりにしよう、彼がそう諦めかけたそのとき、ガス欠か気まぐれか、コンロの火が唐突に消える。少なくとも自分の浸かる液体がグツグツ言わなくなっただけでありがたい。彼はふうっと息をつく、金魚鉢の硝子越しに外を眺める余裕さえも取り戻す。傷が癒えたら飛び跳ねてみてもいいとさえ思う、なんといっても外は素敵な場所で、彼がそれを味わっちゃいけないという法はないはずなのだ。

彼はわずかな自信と勇気とを掻き集め、金魚鉢の上辺に手をかける、外の空気は清らかでそして、暗転、点火。

彼はまた灼熱地獄へ引きずりこまれる。頭のどこかでわかっちゃいたのだ。いつだってこうだった、いつからだったか金魚鉢の中で暮らしはじめたその頃から。仮初の期待、偽物の安堵、そして燃え盛る自分の世界。自分の日常、自分の生活、自分の生。

 

もはや死すら生温い。

 

 

なんちゃって。

以上は女々しい趣味の小説モドキにすぎない。とかいいつつ、本気でこのテーマで書くならもっと丁寧にやりたいなとか思うけど。熟語に頼って描写を雑にするのは甘えだと思うので。

 

L( ^ω^ )┘

「我が抱きし恨み、貴様を殺したくらいで晴らされるものではない、半殺しにして気の済むまでいたぶってやる」、というとき、「死」は救済として描写されているというのがわかります。殺してしまえば相手はもう苦しまなくなってしまう、だからこそ生かしておいて痛めつけるわけです。

熱から逃れることのできる「死」こそ平穏であり、熱を与えられつづける「生」こそ拷問である、というオハナシなんですね。「死」という無感覚、そのぬるい優しさは、「生」に焼かれ傷つけられた体をいかにも癒してくれそうで。宿敵を送り込むのには向きません。逆にいえば、救いを求める人間にとってこれほど完璧な優しさはほかにあるでしょうか。何も感じないということは、熱くて痛くて苦しい思いをすることもないということなのです。

└( ^ω^ )」

 

死の世界は無感覚の世界だといわれる、一方、生の世界は感覚の世界だと思う。ジリジリ苦しい場所もあればヒンヤリ優しい場所もある。自分に適した優しい居場所を探すのには手間と時間と、それから自信と勇気とが必要になる。迂闊に逃れようとすればより熱い場所へ堕ちてゆくかもしれない。それならいっそ目の前でチラチラとこちらを誘う「死」に誘われてみても悪くない。「無」は、きっと楽だから。

 

なんてことを。

 

なんてことを、考えながら慎重に探っていくと、コンロの火が一瞬だけ消える瞬間ってのがあったりなかったりする。だから本当はそういう隙を狙って金魚鉢から飛び出すのが一番よいのではなかろうか、……本当は。そして無感覚でない、めくるめく感覚の世界の中で、自分に最もぴったりくる場所を探すのが一番よいのではないだろうか、……本当は。

目指すのはコンロに乗っていないタイプの金魚鉢? あるいは水族館の水槽、もしくは金持ちの家の庭にある池なんかもいい。飯に困らない場所を選ぶというのはひとつの指針。

僕は海がいいなと思う。できるだけ広いところで、できるだけいろんなものを見て、できるだけ遠くまで漂っていきたいから。……本当は。

 

本当は死にたくない。けれどこの熱さから逃れたい。本当は生きたくない。けれどこの世界にもまだ優しい場所があると思っていたい。

 

 

明日もまた煮え湯の中を生きてゆく

お水をおくれ お水をおくれ

 

なんちゃって。

風呂に入ろう。