世界のCNPから

くろるろぐ

どれほど

深夜零時の渋谷駅である。

これは個人の感想だが、新宿の夜よりも渋谷の夜の方が下品に見える。恐らく、ごくわずかに、渋谷の人混みは新宿の人混みよりも若いのだ。熱を含んだ嬌声があちらこちらから上がる。すれ違う人々は一様に酒臭い。パトカーが何台も走っていく。人々の服は雑誌から切り出してきたように鮮やかだ。

 

若さは華である。若さは力である。若さは万能である。僕は渋谷の若者たちを羨ましいと思う。顔が綺麗で、服も綺麗で、その体も、その心も、色とりどりのペンキを使って汚したみたいに綺麗だ。なんと健康的なことか、なんと扇情的なことか。自らの若さを謳歌し、臓腑が耐えうるかぎりの贅沢と欲望とを貪れるだけ貪り、酩酊して笑う、その屈託のない笑顔がどれほど、どれほど。

 

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僕は他人のことを「嫌い」だと思わなくなった。どんな人にも鬱情があり、どんな人にも感情があり、どんな人にも艶情があり、どんな人にも事情があるのだ、と思うと嫌悪感や忌避感が薄れ、相手のいいところを探せるようになった。

だからあれほど話題に出している社の先輩や上司のことも“人として嫌い”なわけではないのだ、と、こればかりは胸を張って言える。彼らも忙しい時期にはうまく自分を律せないのだろう、そういうことはある、と納得している。巻き込まれた僕は確かに苦しい思いをしたけれども、それはまぁそういうこともあるとして、彼らの人間性自体については別に嫌っていないというのが率直なところだ。「そういう人もいるよね」。関わりたいかどうかは別として。

 

のだが。

別部署の人々と話をする機会を得た。ただの雑談だったが、なんだか色々なことを聞いた。僕の部署の惨状は、僕から報告するまでもなく他部署まで知れ渡っていたらしい。僕はかなり慎重に、先輩や上司にも事情はあるんですという前置きをしながら話したつもりだったが、やはり皆、先輩や上司についていい印象を抱かなかったようだった。

僕のせいで他者に悪いイメージがついてしまったとなると本当に申し訳なくて、話さなければよかったとさえ思った。何しろ誰も悪くないのだ。ただ忙しくて、ただ人と人との相性が悪くて、ただ上手く回らなかったというだけのことなんだから。悪い存在がいるとすれば、期待されるほどの仕事をこなせなかったこの僕だったのだから。

 

一方、別部署の方の話を聞けば聞くほど、別部署がいかに仲良く楽しく働いているかということを把握させられた。そもそも、誰かに話しかける際にシミュレーションを必要としないという時点で僕の部署と話が違う。「お役に立てず申し訳ありません」という言葉を発し、「そんなことないよ、めちゃくちゃ役に立ってくれてるよ」と返してくださるのを聞くことでやっと心を保っている僕と差がありすぎる。

正直なところ、哀しかった。

 

この哀しみの中身は、おそらく羨望と自己否定と、虚無感あたりだろう。

僕は本当はプライドの高い人間だ。虚栄心が強いと言い換えてもいい。人生においてもっと面白いことをしたかったし、できると思っていた。いや違う、もっと面白いことをしたいし、できると思っていたい。

 

僕だって本当は23年間の人生で何かしらを得たはずなのに、仕事にそれが生かされないばかりか、マイナスの方向にばかり働いて失敗を繰り返しては先輩にも上司にも迷惑をかけ不快感を与えている。

仲良くすることを目指す前に、まず嫌われないようにすることから始めなくてはならない。萎縮と遠慮とガチガチの恐怖。楽しくすることを期待する前に、まず僕という楽しくない存在の影をできるだけ薄めなくてはならない。沈黙と緊張とぐちゃぐちゃの人間関係。

 

僕だって本当は何ができるはずだと思っていたいのに、周囲が、状況が、結果が、他者が、外界のありとあらゆるすべてが、「お前には何もない」と告げてくる。僕の自己否定は、実は一周しているのだ。

「これだけ他者に迷惑をかけている僕が、自分だけヘラヘラと自分を肯定するなんて他者に対して失礼だ」。「自分を肯定したいのは山々だけれど、他者から見て肯定できる要素のない僕が自分を肯定するなんて無理な話だ」。

最初から自己否定に入っているというよりは、「他者に失礼なんじゃないか」という理由から否定せざるを得なくなっているというような感覚に近い。

本当は、僕が他者を嫌いにならない理由も、この辺りからきているんじゃないかと思うことがある。「無能の僕が他者を嫌うなんて他者に失礼だ」。けれど、もはや自分でもどう思っているのか分からない。

 

こうして一周まわった自己否定が、別部署の人たちとの話の中でじわじわと浮き彫りになってしまった。話し疲れて口を閉ざした途端、あの虚無の感覚がサッと頭をよぎり、僕は考えるのをやめた。虚無すなわち宇宙。僕だって何かを成せると思っていたかった。けれど何も成せていない、何も成せやしない。空っぽのままだ。空っぽだ。

 

ひさびさに多くの他者と雑談をしたので疲れたのかもしれない、と自分でも思う。そも、本当は他者と関わらない方がいいのかもしれない。自分の無能が他者に迷惑をかけている、ということそのものが嫌で嫌でならないのだ。

よからぬことばかり考えてしまう夜は、早く寝てしまうに限る。と、わかってはいる。

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深夜二時の自室である。

老いた人間が枯れはてて力のない腕を必死に持ち上げている。顔は醜く、服は汚れて、身も心も真っ黒な汚泥や吐瀉物に浸したように穢れている。なんと脆弱なことか、なんと空虚なことか。自らの若さを喪失し、臓腑が耐えうるかぎりの精神安定剤と精神刺激薬とを貪れるだけ貪り、酩酊して笑う、その実体のない笑顔がどれほど、どれほど。