世界のCNPから

くろるろぐ

酒を飲みながら

酒を飲みながら思った、こんな時間が永遠に続けばいいと、世の中の全ての人が幸せを味わえればいいと。僕自身の手によって救える人というのは限られているかもしれないが、できるだけ多くの人を救い、多くの人に幸せになってもらいたいと思った。2018年の秋である、そろそろ紅葉を楽しめてもいい頃である。渋谷の雑踏の中には紅葉なんてなくて、強いて言うならお洒落な若者たちの服が秋めいてきたことを感じるくらいだろうか。ワインレッドとオレンジと黒、チェック柄、生足よりカラータイツ。秋は確実に近づいてきている。

 

酔っ払った目で見ると街灯は四方八方に光の筋を飛ばしてとても綺麗だ。人工の星なんて、と邪険に扱うのはもったいない、何しろ人工物だって星は星なのだ。輝きさえすればいい。アップルストアは紫、タワレコは黄色、東急は赤文字を光らせている。このままどこか遠くへ行きたい、どこへ? いつかロケットや小惑星探査機が個人でも買えるくらいの値段になるといいなと思う。そうすれば僕の求める「遠く」はもっと手の届くところまで降りてくるだろう。絶頂間近の女の子の子宮が降りてくるみたいに。震えるような星空。紫と黄色と赤とが目の前に迫ってきて僕を誘うのだ。

 

ワインレッドとオレンジ、酒のことしか思いつかない、基本的にカクテルは色とりどりだ。でも僕らは今日、日本酒を飲んで笑った。透明という名のカラフル。オレンジとワインレッド。街灯の光が目に刺さって痛い。明日は月曜だから早く帰って寝たほうがいいのに、渋谷の人間はこの時間になっても寝たくないようだった。まるで愚図る子どものようで、子どものようで。僕だって子どものはずなんだけれど。

 

僕は渋谷の若者くらい何も考えずに快楽に溺れたいと思っていた、けれど、渋谷の若者だって何も考えていないわけじゃないんだろうなと思うようになった。何も考えずに生きていられる人というのはいないはずなんだ。みんな何かしら抱え、何かしらと折り合いをつけて生きている。僕も何かしらと折り合いをつけて笑っていたいと思った。折り合いじゃなくてケリをつけるべきなんじゃねーかな。

 

2018年の秋である、そろそろ紅葉を楽しめてもいい頃である。酒を飲みながら思った、こんな時間が永遠に続けばいいと、こんな時間は今しかないんだろうと、僕はきっといつまでもきちんと幸せにはなれないんだろうと。

このままじゃ、なのか、どうやっても、なのか、というところは正直、酔った頭じゃ分からなかった。