世界のCNPから

くろるろぐ

僕にはこういうところがある

父の荒れている声を久々に聞いた。

 

 

静かな秋の夜、誰もいない部屋の中で、父は「うるさい」と叫んでいた。枕を殴るような、重い音がした。続く言葉はよく聞き取れなかった。首を絞められながら、それを払いのけようとするような声だった。

 

 

父は二十年以上前からいわゆる「癇癪持ち」だった。非力な僕からすると、大男が大音声を張り上げ、物を投げ、足を踏みならし、最悪の場合には暴力を振るう、という様子はまさに“恐怖”そのものだった。

しかし、落ち着いているときの父は面白いひとなのだった。父は雑学的な知識量が多く、点と点とを繋ぐような話をするのも上手いので、議論めいた議論を戦わすにはいい相手だった。

 

中高生の頃の僕は、学校から帰ってきて食卓へ向かう前に必ず家の中の空気を肌で探っていた。ピリッとしたら、要注意。弛緩していたら、楽しく過ごせる日だ。

しかし母は空気を読まず相手を苛立たせるような皮肉や嫌味を言っては「わざと言っているのよ、嫌がらせなのよ」と主張していたし (その「嫌がらせ」の起こす台風が家中を巻き込んでしまうというのに) 、妹は父親を見限って完全に無視するようになったし (単純な挨拶さえわざと無視するという技を覚えてしまっていた) 、僕だけが家の空気を察知したところで、あまり意味はなかった。そうして最終的に、父と多少なりともまともに接していたのは僕だけとなった。

何しろ僕は落ち着いているときの父の明るさも優しさも料理の巧さも知っていた。キレやすい人間なんて大嫌いだ、といって完全に突き放してしまえるほどあっさりした気持ちになれなかったのだった。なんというか、僕にはこういうところがある。

 

僕は幼い頃から荒れ狂う父の姿を見て生きてきた。ちょっとしたことでも理屈に合わない、理論で説明できない何かが起こると父は耐えられないようだった。どうしてわからないんだ、と父はよく叫んだものだった。簡単なことなのに、と。そこから怒りに火がついて、父はどんどん燃えてしまうのだった。母は典型的な感情型の人間だったから、父のそういう理屈っぽいところが大嫌いだった。うるさいんだもん、というような一言で、母はよく父を逆上させていた。

 

一方、僕は荒れ狂ったあとの父がどれほど苦しそうな顔をしているかも見てきた。荒れては反省し後悔して苦しみ、また荒れる……その地獄めいた輪廻は僕の身にも覚えのあることだった。

僕は父を救いたかった。それは父のためでもあったし、家族のためでも、僕自身のためでもあった。が、僕には救えなかった。何度か落ち着いている状態の父とゆっくり話そうとしたこともあったのだけれど、父は自分の荒れ狂う姿を思い出したくなかったのか、真面目な話をするのが苦手だったのか、はたまた僕のことをあまり好いていなかったのか、ことごとく失敗した。心療内科や精神科も勧めたが、「何でも病気にしようとする」と笑われて終わった。笑い事じゃなかったのに。

 

両親が別居を決め、妹が迷うことなく母を選び、僕というゴミだけが手元に残されたとき、父はどんな気持ちだったんだろう、と思う。引っ越してしばらくの父は本当にいつ壊れてもおかしくない状態だったから。

僕は本当に無力で無能だった。父の癇癪さえ抑えられたならこんなことにはならなかったはずで、癇癪を抑えるための方法はどこかにあったはずで、僕はもっと手助けできたはずで、怒鳴られることに怯えて楽な道へ逃げた僕のせいで家族が上手くいかなくなってしまったんだと思うと怖かった。

それに加えて、僕はよく家族が機嫌を損ねる原因にもなっていた。庇ってやったはずの妹が僕の文句を言っていたり、加勢してやったはずの母が僕の陰口を言っていたり、つまり僕は独善的な態度で生活することで家族仲を引き裂く要因となっていただけだったのかもしれなかった。

 

そもそも僕は家族の一員だったのか?

 

 

……親のことが嫌いだ、とはっきり言うことができたら、僕はきっと楽なんだろう。しかし結局のところ僕は、家族をしっかり嫌いになれていなかった。ここをはっきりさせてしまえば、今すぐ家を出ていき二度と会わないことで互いの精神衛生を保つこともできるはずなのに。

あれだけ怒鳴られ、殴られ蹴られ、それでも僕は父を根本的に憎んでなどいなかった。あれだけ嫌味を言われ、大事なものを捨てられ、それでも僕は母と飯くらいなら食いにいってもいいかなと思ってしまっていた。あれだけ冷淡に育ち、すっかり距離を置くようになり、それでも僕は妹に頼まれれば課題の手伝いやパソコンのセッティングに協力していた。

 

僕は「心の奥底から他人を憎悪する」ということをやったことがないし、できないようなのだった。

もちろん怒鳴られるのも物を勝手に捨てられるのも冷淡な皮肉を言われるのも好きじゃないし、苛立つし、不快な気持ちになる。けれども、なんというかそれはその相手の“言動”に対する苛立ちであって、“人間そのもの”に対する憎しみではないみたいだ。相手の人間そのものを嫌ってしまえば、その相手の言動やら容姿やらを嫌悪し距離を置くことで平静を保てるんじゃないかと思うが、僕は中途半端に「でもいいところもあるんだよな」と置いてしまうせいで、中途半端に赦しつつ中途半端に赦しそこねるのだと思う。

やめるなら、僕は他人をもっと恨むべきだし、つづけるなら、僕は他人をもっともっと赦せるようにならなくてはならない。半端だから痛いのだ。父の大声を聞いてじくじくと心を痛めるようでは甘い。

 

静かな秋の夜、誰もいない部屋の中で、父は「うるさい」と叫んでいた。過去の声に苛まれてでもいるかのようだった。枕を殴るような、重い音がした。何を殴っているつもりなのだろう、力のこもった打撃は自傷的でさえあった。続く言葉はよく聞き取れなかった。許しを乞うような言葉に聞こえた。首を絞められながら、それを払いのけようとするような声だった。父も苦しいのだ、と思った。