世界のCNPから

くろるろぐ

月並み

昨夜は急な電話に応えて、おもちゃみたいな酒を飲み、やけにしょっぱい肴をつまんだ。それからいろんな話をした。

 

いろんな話をしてもいい、というのはひとつの救いである。僕は誰かにとってのそういう救いになりたいと思う。といっても、僕はいつも誰かに救われるばかりで、誰かを救ったことなどない。

僕は偉そうなことばかり書いているけれども、これぞという言葉を咄嗟にかけることができない。頭の中で絡み合った言葉を、ぐちゃぐちゃのまま紡いでは相手を混乱させることも多い。喋っているうちに訳が分からなくなり、言いたいことと違ったことを間違って口にすることすらある。

 

僕が電話よりもメールを、口頭よりも手紙を好むのにはそういう理由もある。言葉を一度しっかり解きほぐして噛み合わせてからじゃないと、まず何をも伝えることができないのだ。

とはいえ、文字に書き起こしたからといって、それが誰かを救えるかどうかはまた別だ。自分の真意・本心・胸中を、確実に表せるかどうかはまた別だ。「言葉」そのものが曖昧なものだから、口頭だろうが文字だろうが、結局は曖昧なところまでしか示せないように思われる。そしてその曖昧さは、誰かを救うよりもむしろ傷つけているような気さえする。

 

僕は誰かを救えるんだろうか。

おこがましい願いなのだろうな、と僕自身、気づいてもいる。救いというのは様々な要素の組み合わせによって得られるものなんだろう、だから僕はその要素の一部になれればいい、と思いつつ、その「一部」になることだって実は、とても難しいことなのだ。

 

明けて、朝である。この時間になると街は通勤通学の人々で溢れかえる。満員の電車内でもみくちゃにされていると、自分がいかにちっぽけな存在であるかに気づかされる……なんて、ハルヒみたいなことを考える。月並みの言葉、月並みの懊悩、月並みの人生、まずは自分を確立しないと他者を救うこともできないんだろうなと、月並みなことを考える。