世界のCNPから

くろるろぐ

人間関係ハシゴ酒

酒を飲んだ人間ほど面白いものもないと思う。自分自身も含めて。

 

今夜は宴会があった。

僕は完全に素面のまま、上司たちの酔いどれ姿を見ていた。といっても誰も大学生ではないので、誰の酔い方もそこまで派手にはならなかった。ほどほどに酔い、ほどほどに抑え、ほどほどに笑って、みなシャンと歩いて帰っていった。

 

僕は場のノリに合わせて騒げるタイプの人間だ。そしてこうして一瞬で空虚な表情に戻るタイプの人間だ。

誰にも気まずい思いをさせたくないし、誰のことも傷つけたくない、不快な思いをさせたくないし、不穏な空気を味わいたくない、だから人々の集まる場が温まっているときは、その温度を下げない振る舞いを心がける。上手くやれているかどうかはわからない。

一方、僕はこういう会が終わったあとによく真顔で思案タイムへ突入する。自分の言動が不味くなかったかどうか、という反省タイムでもあり、他人の言動がどうであったか、という反芻タイムでもある。

 

人間関係というのは不思議なものだ。A氏はふだんB氏を嫌っているようだったのに、今日の二人は仲良く話していた。C氏はいつもD氏を叱ってばかりなのに、今日の二人は楽しげに笑っていた。

人の好悪は計り知れない。状況に応じて表情も態度も言動もくるくる変わる。どれが真実でどこが虚偽なのか、自分は結局のところ好かれているのか否か? 見極めることなどとてもできない。

特に社会人というのは仮面をかぶるのが上手い。僕はこの社会において、自分が好かれているかもしれないなどという幻想を持たないよう気をつけておかねばならないと常々思う。思っているからこそ、僕はいま素面なのである。

 

人が集まってワイワイ話しているのを見るのは、面白くもあり恐ろしくもある。「本当はこの人とこの人とは嫌い合っているはずなんだよな」というのを考えてしまう、「本当はこの人ってこの人に対してずっとキレているんだよな」というのを思い出してしまう、「本当はコイツお前のこと苦手だったらしいよ」なんて言葉を思いがけなく耳にしてしまう。耳にしてしまった。恐ろしいことだ。そして面白いことだ。

言うなれば、宴会それ自体が酒である。あるいは人間関係それ自体が酒である。人を酔わせておきながら、あとでそれを後悔させるのが甚だ上手いのである。乱痴気騒ぎに一時の慰めを見出しても、こうして二日酔いめいた疲労が襲いかかってくる。愚かしい話である。

 

社会の中で生きていくにあたって人間関係を避けることはできないなと、しみじみ思う。けれども僕は人間関係を編むのが極端に下手で、あちらへフラフラ、こちらへヒラヒラ、或る居酒屋で浴びるほど飲んで、別の居酒屋で溺れるほど飲んで、翌朝には自責と悔恨、僕にとっての“人間関係”とはそういうようなものなのだ。ハシゴ酒。人間関係ハシゴ酒。酔っ払っている自分自身も含めて、酒を飲んでいる人間ほど面白いものもないと思う。