それでも朝は来るのだった
人はなぜ夜更かしをしてしまうのか。
思うに、僕のかつての夜更かしはただ遊び呆けたいがための夜更かしだった。好きなだけ本を読み、好きなだけ文学論の真似事をし(文学研究会にいたからだ)、好きなだけ夜の街を歩いて、好きなだけ笑っていた。
しかしながら、いま現在の夜更かしはそうした類のものではなさそうだ。そもそも基礎体力が尽きてきたので、本当は起きているのもしんどい。明日のことを思えば早く寝るのが正しい。布団がワサワサと音を立て、目覚まし時計はカチカチと針を鳴らす。寝なくてはならない。
それでも寝ないのはひとえに、焦燥感ゆえだろう。
夜に眠れば朝が来たる、この単純な巡りを恐れる日が来ようとは思わなかった。
朝という時間帯が嫌いなわけではなかったはずだ。早朝の風も音も色も、わりかし好きな方なのだ。けれども、自分の人生を「日常」という枠の中において浪費しつくしている日々の中で、朝を楽しむような心の余裕を持つことなどできるはずもなかった。
この夜を使わなければ、この夜を使って何かを成し遂げなければ、という焦りばかりが脳味噌を支配してグルグルにしてしまう。しかし体は眠いので、何を成し遂げることもできやしない。文章を書くだけで精一杯。それだってご覧の通りギリギリで、全身がキリキリ痛む。
読みかけの本は閉じた。目覚まし時計はセットした。布団を被った。朝を迎え撃つには心細い装備だが、それでも朝は来るのだった。