世界のCNPから

くろるろぐ

僕の胃は空っぽで、明日もまた出勤日で

もうここのところずっと、僕と仲のいいA先輩が、B上司から「もう何もしてくれなくていいです。余計こんがらがるので」「あなたにしてもらえる仕事なんてありません」「早く帰って」「何を聞かれても「わかりません」と答えて俺に回して」などと虐められていたのだが、ついに上層部が動き、A先輩が僕のいる部署へ、僕の部署にいたC上司がA先輩のいた部署へ、交換する形で異動することとなった。これはよかったと思ったのも束の間、無理のある急な異動により、C上司の所属が曖昧になって給料の出所がなくなったり、A先輩に振るための仕事がなかったりして、かなりの動揺が走っている。ちなみに異動といっても僕の部署と先輩がかつていた部署とは机ごしに向かい合っているので、要するに互いの姿を見ながら仕事しなくてはならないという状況は変化していない。僕は今日この状況において、人間社会の汚らしさと惨たらしさを目の当たりにした。例えばこんな事件があった。A先輩は仕事を振ってもらえないので本当に手が空いてしまい、他部署ではありながらも優しく接してくれるC上司に「何か手伝えることはありませんか」とこっそりメールした。ところがこのC上司は(僕が最初から睨んでいた通り)とんでもない人間で、そのこっそりしたメールを、A先輩の直属の上司であるB上司、僕の直属の先輩であるD先輩、僕、に見せびらかすと、「何のつもりなんだ」と憤り、そして嘲笑った。B上司はB上司で「何様のつもりなんだ、仕事なら与えている」と逆上した。D先輩は「Aさんの仕事ぶりが雑なのでこっちの部署に来られたところで大事な作業は頼みたくないんです」と放言した。当のA先輩はといえば、B上司によってとっとと帰れと命じられ、新人の僕よりも早く帰らされていた。意気投合してA先輩の悪口を放ちつづける彼ら。とはいえ、D先輩はC上司のことが大嫌いでいつも陰口を言っているし、B上司はD先輩のこともしつこく叱っているし、誰一人として仲良くなんてないのだ。それが全員揃うと、まるで気の合う仕事仲間みたいに笑い合い冗談を言い合うのだ。怖い、と思った。心から恐怖した。こんなこと世の中にはよくあることだ、俺も経験したことあるよ、なんてお思いの方も多いことだろう。僕もこんなこと、どこにでもあるようなことだと思う。アタマでは。しかし現場に直面し、無力な自分を自覚し、先輩のことを心配していると、僕のような弱者は冷静なアタマでいられない。僕自身も陰口を叩かれているということはこれでほぼ確定した、なんといっても僕は役立たずだから、悪口を言われる理由なら山ほどある、よって今後の言動には慎重になろうと決意した。しかし今回の僕の恐怖はそれよりも、何だかんだ言われていてもさすがに自分がここまで嫌われているとは気づいていないらしいA先輩が、次にどんな言動を起こすか、それによってB上司・C上司・D先輩が陰で何を言い合うことになるのか、ということに対する恐怖だった。例えばD先輩はC上司のことが大嫌いなのだが、C上司はそれに気づいていないので、D先輩に対し説教をすることがある、するとD先輩はその場では半笑いで聞いているのだが、C上司が立ち去ると同時に舌打ちするのだ。僕はそういう現場を見てきた。そういうことをされる場なのだ。実はA先輩も既にそうやって陰で言われている。そしてこの体制変化に応じて、A先輩はますます標的となってしまうだろう。けれどA先輩自身はそれにおそらく気づいていない。少なくともC上司のことは信頼しているようだし、D先輩とも仲がいいと思っているようだ。僕は怖い。本当はA先輩に、そいつらは敵です、離れて、僕と一緒に逃げましょう、なんて言えたらいいのかもしれない。しかし、「あなたは嫌われています」なんて言えるはずもない。それはそうだ。でも、でも、このままにしておいたらA先輩はどんどん…………と、ここまで考えて、僕はこれがいつもの「頼られたがり」なのかもしれないと思った。僕はA先輩を助ける自分に酔いたいだけなのではないかと疑った。といっても、今はそんなことを気にしている場合じゃない、とも思った。要はいろんなことを思いすぎて、僕はまたしても嘔吐した。こんな部署にいられるか、などと叫んでその場を離れて、そのまま惨殺されてしまいたい。しかし僕の死は即ちA先輩の最後の味方の死であるから、この件において僕の死はあまり正しい選択肢ではないんじゃないかと思う。僕にできることは現状をもっと偉い上司たちに伝えつづけること、そしてA先輩と僕とで逃げ出す算段を立てることだ。なんてキメてみせたけれど本当はA先輩もこの状況に気づいていて、敢えて耐えているのかもしれない、A先輩はそういうところのある人だ、だからこそ僕はA先輩のことを好いているのだった、そして助けたいのだった。助ける? 何をもって「助かった」ということになるんだろう。思考回路の何もかもが散り散りで、僕の胃は空っぽで、明日もまた出勤日で、僕は彼らに、あの彼らに元気よく挨拶しなきゃならないのだった。