「空の境界」を思い出した
「空の境界」という作品がある。
ひさびさに読み返した。こないだ「探偵小説ばかり読んでいる」などと放言したばかりだというのにな。
急に読み返したくなったのは、この作品の真ん中あたりで「鍵」に関するエピソードが出てきたな……というのを思い出したからだ。
そのエピソードはこんな詩から始まっている。
幼いころ、その小さな金属片が自分の宝物だった。
いびつで、小さくて、ただ機能美しかもたない。
銀色の鉄は冷たくて、つよく握ると痛かったのを覚えている。
かちゃり、と一日の始まりに半分まわす。
かちゃり、と一日の終わりに半分まわす。
幼い自分はその音を聞くたびに誇らしい気持ちになった。
なのに、その音を聞くたびに泣きそうになる自分がいた。
物語の展開を少しでも話してしまうと「空の境界」全体のカラクリが台無しになりかねないので、ストーリーについては語るまい。僕はこの一編の詩のことだけ取り上げておく。
“機能美しかもたない金属片”……鍵というものを示す言葉として、これほど凛とした単語もそうそうないだろう。言わずもがな、鍵は確かにただの金属でできた道具である。……けれど、僕のようなタイプの人間はそういう「ただの道具」に何らかの意味を見出してしまいがちなのだった。
たとえば、家の鍵を預ける、というのは、ひとつの信頼の表現であると思いたい。
鍵そのものには施錠・解錠という機能しかない。けれども、その施錠は家を守るための施錠であり、その解錠は家へ招かれるための解錠である。家を家主にとっての聖域と捉えるなら、聖域を守り聖域に出入りするための手段である「鍵」を預けてもらえるというのは、並のことではない……と、思いたい。
僕は先日、そういう「鍵」を預かった。
「あなたに自由に出入りされると苛立つから」、そう言われて、実に八年もの間いちども預けてもらえたことのなかった聖域の合鍵である。「そいつはあなたに預けておこう」と家主は言った。とんでもない衝撃だった。
僕は未だに「自分は誰かに好かれている」と感じないよう信じないように気をつけて生きているけれど、それでもこの時ばかりは、数年間にわたる拒絶が少しだけ解けたように思えた。思えて、しまった。
きっと僕はいつかこの「鍵」を返さねばならなくなるだろう。束の間の幸福は梅雨時の晴れ間に似ている。太陽に期待すればするほど降り出す雨に耐えられなくなる。だから、これはきっと今だけだ、と思いながら“機能美しかもたない金属片”の鉄臭い冷たさを味わっている。
ほぼ同刻。
某フォロワー氏が「マウント取るわ」とおっしゃいながら自身のツイートを見せびらかしてきた。そのツイートに添付されていたのは女性的な左手の写真だった。写真の中の手は薬指に指輪をはめていた。つまり某フォロワー氏は遂に悲願を遂げ、恋人と婚約したのだった。
僕が「空の境界」を思い出したのは実にこの瞬間だった。
鍵も、指輪も、言ってしまえば「金属片」だ。さらにいうと、鍵には施錠・解錠という機能があるけれども、指輪にはそういった機能すらない。まあ「手指を飾る」というのを「機能」と捉えるのであれば、それも「機能美」かもしれないが。
いずれにせよ、鍵も指輪も結局は小さな金属の塊に過ぎなくて、そこに意味などないはずだ。……それなのに、人はそこに意味を見出す、見出してしまう。信頼だの愛情だのというカタチのない何かを、目に見えるモノに宿らせようとする。僕は「鍵」と「指輪」という二つのアイテムを頭の中で並べてみて、そんなことを思い、そしてそこから「空の境界」を思い出したのであった。
……読んだことのある方には何となく伝わってくれると思うんだけれども、どことなく「空の境界」的じゃあありませんか、こういうの。
むろん世間的に見れば、「家の合鍵」は恋仲の初期に登場するアイテムだし、「婚約指輪」は恋仲のクライマックスに登場するアイテムだ。「金属片」に付随する意味としては後者の方がずっと重い。
それでも僕はとりあえず、今のところこの「鍵」の意味の重みを大事にしておきたい。いや、大事にしておくしかない、という方が正しいか。「指輪」に付随しうる意味は、その重みは、まだ僕には咀嚼も消化もしきれないものだと思うから。
まあ何が言いたかったかというと、今回の記事においては鍵がキーアイテムだった、ってことだね!
お後がよろしいようで。