世界のCNPから

くろるろぐ

同期「苦手な人ならいますね」

 

マジでなぁ……

 

端的に言うと、今日こんな一幕があった。

 

上司「忘年会の店を決めるけど、何か苦手な食べ物とかある?」

同期「苦手な人ならいますね」

 

何故このタイミングでギャグベースのガチ拒絶反応をぶち込んできたのか分からないが、まぁぶち込まれた以上は仕方がない。

その同期がこんなことを言える相手となると、まず上司・先輩・同期の女の子たちは除外されるとして(女の子たちはそもそも別のかなり遠いところで働いているのでたまにしか会わないからだ)、僕を含む同期三人のうちの誰かということになる。そのうち、一人とは疎遠だし、一人とは仲良くやっているようなので、残る僕のことを指しているのは間違いない。

ちなみに僕が「いきなり僕への苦手意識を告白しないでくださいよ 今後は態度に気をつけますよ」と発言したら相手は静かになった(そういうことを発言するから僕はダメなのだ)。

 

正直なところ、言われた瞬間は頭が真っ白になり、自分のした数々の失敗や失言を思い出して恐縮し、一気に落ち込んだ。

面倒臭がる同期氏に仕事を割り振り、自分の分くらい早くやってくれと急かしたのは僕だ。冗談めかしながら強い言葉を投げつけたのも僕だ。顔が醜いにもかかわらずイケメンである同期氏を自分と対等の立場の人間として雑に扱ったのは僕だ。

忘年会の件でも、僕は他の同期たちと一緒に幹事の一人として任命されたその日から、早く予約しないと店は無くなるし懸案事項としていつまでも残るしで面倒だと考えて必要以上にしゃしゃり出てしまっているのだが、同期氏はそういう「仕切りたがりのいい子ちゃん」とウマが合わなさそうな人だから、そういうところでも不快に感じていたものとみて間違いない。

拒絶される理由ならごまんと思いつく。僕はしばらくのあいだ仕事が手に付かなかった。

 

けれどもしばらくしてみると、僕は明鏡に達し止水に至っている自分を見出した。

 

冷静に考えてみると、「嫌い」と「苦手」とは別だ。「好き・嫌い」と「得意・苦手」は別だ。「僕のことが嫌い」なのと、「僕のことが苦手」なのとでは、意味が違う。そして僕は「苦手」がられたのだ。そこを考えなきゃいけないと思った。頭を真っ白にしている場合ではないと思った。

 

「苦手」という感覚には、読んで字のごとく“苦み”のようなものが含まれていると思う。何かに対して「苦手」だと感じたとき、まるで苦いものを口に入れてしまったときみたいに顔が歪んだ……そんな経験は僕にもある。

そう考えると、「苦手」という感覚はとても静的である。口の中に広がる不味さ、それに耐えて捻れる口元、……静かで、それでいてじわじわと気分が悪くなっていく。温度で言えば、まとわりつくような生ぬるさ。じっくりと体調を崩していくときの、じりじりとした気持ち悪さ。

一方、「嫌い」という感覚はもっと怒気を孕んで動的なんじゃないか。温度で言うと、凍った鋼の冷たさか、煉獄の熱さか。触れたくもないという嫌悪。

ぜんぶ個人的な感覚だけどな。

 

敢えて「苦手」という言葉を採った同期氏は、僕と相対するとき、そういうじゃりじゃりした苦みを感じていたのに違いない。できれば近くに居たくない、関わりたくない、気分が悪い、そんな気持ちを味わっていたのだろう。

嫌い、という積極的な感情ではない。苦手、という消極的かつ受動的しかし確実に人の体力や気力を奪っていくまさに苦々しい感情が、同期氏の抱いた感情なのだろう。

と、ここまで考えて、溜息が止まらなくなった。頭がまたモヤモヤと白くなってきた。

 

いずれにせよ人にそんな不愉快な思いをさせたくはないので、そういう気持ちを僕に対して抱いてしまう人々からは距離を置かなくてはなるまい。そして僕自身、人を不愉快にさせないような人間にならなくてはならない……ある程度はどうしても自分を律さなくてはならない。

 

……と、思うのだけれども。

 

ぶっちゃけ僕は疲れてしまった。

 

どうしたって負の感情を他者に抱かせてしまう僕は、もう生きている時点で失敗なのだ。どう努力したところで、人々は僕のために気分を害する。これ以上どうしようもない、と思った。何かが切れてしまったみたいに、好悪とか愛憎とかいったパラメータのことがどうでもよくなった。嫌うなら嫌ってくれ。好くなら好いてくれ。僕のようなのと関わるのが苦手なら離れてくれ。僕のようなのと関わるのが得意だといっても無理に近づかないでくれ。

 

病んじゃいないと自分では思う、わりと元気でいられていると思う、けれども本当に今はグダグダしていたい。気分の浮き沈みが激しくて、それだけで体力も気力もだいぶ削られている。しばらくこのままそっとしといて。マジでなぁ。