世界のCNPから

くろるろぐ

つかれた!

日々に嫌気がさしている!

 

負の感情にもいろいろある。「つらい」とか「しんどい」とか、そういう包括的で抽象的な言葉の中にも多種多様な負の感情が含まれている。

 

で、僕はいま、嫌気がさしている!

 

言葉にするのがあまりに難しくて、記事として書くことさえできなかった。今日も本当は筆が乗らない気分の日だ。それでも僕は無理やり手を動かしてみよう。

 

キンと冷えた空気、淡く晴れ渡る青空、吐く息は白く、手はかじかんで震え、ああいかにも冬の日よ……そうやってボーッとしていられる間はまだいい。しかし唐突に、何かがガツンと僕の頭を殴りにくる。

あ、やめたい、やめたい、……僕自身、何をやめたいのかさっぱりわからないんだけれども、何だか急に怖くなって、やめたい、と叫び出しそうになる。

絶望とも憤怒とも違う、腑抜けたような感覚、逃げ出したいとか抜け出したいとか逆方向に駆け出したいとか、そういう「逃避欲求」じみた感情。

ほら、上手く言えていない。そういうことだ。とはいえいつまでも「上手く言えないの」なんて誤魔化していたって仕方がないので、ひとつ言葉にしてみたのがつまり、

 

日々に嫌気がさしている!

 

と。

この「!」も重要である。

梶井基次郎桜の樹の下には」( 青空文庫: 梶井基次郎 桜の樹の下には )でも、冒頭まっさきに「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」ときている。「これは信じていいことなんだよ」、ええいっと叩きつけるような宣言。「俺には惨劇が必要なんだ」、興奮した語りは熱を帯びて「お前」(聞き役)に冷汗をかかせる。

 

要はね、僕も逃げ出したいんだと思うのだ。何から? すべてから。

 

死は究極の逃避である、と捉えるなら、自殺は僕の逃避欲求を充分に満たしてくれるだろう。そのためだけにでも死んでみる価値はある。

ただし自殺の瞬間には、刃物であれ縄であれ崖っぷちであれ薬物であれ、ともかく自分を死なせるための“何か”から逃れられないんだよな、という、臆病者に二の足を踏ませるには充分すぎるほどの事実があり、僕はその辺で詰まってしまう。現実から逃げるための行動が、最後の最後に自分を追い詰めている感じがする。

桜の樹の下で桜の養分となれるならそれはひとつアリかもしれないが。

 

まあ、せめて旅に出たい。何も気にせず遠出をしたい。社会に呑まれて、「決められた日までに帰ってこなければならない旅」ばかりさせられていると気が狂いそうになる。天気のいい朝に伸びをして、「よっしゃ出かけるか」と呟いていきなり旅に出たい。帰りたくなったら帰ってきたい。

 

端的に言って疲れた。つらい、しんどい、そういう深刻な感情ではないんだろうと思う、ただ疲れた。

 

つかれた!