アイドルのライブへ行った
アイドルのライブへ行った。
アイドルのライブといってもAKBやナントカ坂のような大所帯アイドルグループがデカいホールで開催するような規模のものではない。
「 デセオアイドル劇場〜道玄坂移転SP2部〜 東京都渋谷区/イベント - ロコナビ 」
このようなやつである。
あるフォロワーさんの影響で「ぜんぶ君のせいだ。」に出会って以来、僕は「アイドル」という存在のドラマ性に興味を持つようになった。
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ちなみに僕が初めて目にしたのはこちら。
ぜんぶ君のせいだ。"わがまま新生Hominina" Official MusicVideo
でもここから未来千代めね(青色担当)が卒業してしまったので現在は以下のような感じ。
ぜんぶ君のせいだ。"革鳴前夜"Official MusicVideo
かわいいと思うので是非ご覧いただきたい。
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アイドルというのは「顔がよくて歌って踊れる存在」と簡単に言えるような存在ではない。アイドルがアイドルとしてステージに立つまでには、様々な努力と苦労と裏事情と黒歴史と闇があるのだ。……ということを、僕は少しずつ分かりはじめてきたような気がする。
んで、僕はそういうアイドルたちのことをもっと知りたくて、敢えてアマチュアアイドルさんたちの集まりを観に行ったというのが今回である。
場所は渋谷、「デセオアイドル劇場」。こういうところから大きなアイドルグループが立ち上がることもあるんだろうな、AKBみたいに。
時間は17:00〜22:00くらい。ただし頭から全て観る必要はなくて、推しアイドルの出る時間帯に来て推しアイドルだけ観て帰るというのも可能だ。僕は頭から最後までいたけれども(より多くのアイドルを観たかったため)。
チケットは予約で2000円、+ワンドリンクで600円、締めて2600円。これで14グループ(1グループ約15分間の持ち時間)くらい? を観ることができたのでリーズナブルだった。
一口にアイドルといっても、14グループも集まっているのを4時間も観続けているとさすがにその在り方の差異がわかるようになってくる。
まず衣装の時点で、そのアイドルグループが目指す方向性のようなものを味わうことができる。いかにも「女の子アイドルグループ」という感じのヒラヒラしたミニスカート衣装を着た人たち。セーラー服っぽいワンピースを着た人たち。ロングスカートを着た人たち。パステルカラーの人たち。各担当色の人たち。白黒の人たち。
それから曲調もそれぞれ違う。ダンスミュージックのようなカッコよさめな曲、ポワポワした可愛めの曲、機械的なピコピコみのある曲。
一部を除いて大抵はオリジナル曲らしく、音源を発売します〜なんて紹介していたグループもあった。マジかよ、と思った。はっきり言ってどれもこれも、名さえ売れれば大人気を博しそうな名曲ばかりだった。アイドル、やべえな。
もうひとつ感動したのが、みんな歌もダンスもお世辞抜きにハイレベルだったことだ。
まず誰も彼も、歌声がとても良かった。ひと組たりとも「この下手くそな歌を15分間も聞かねばならんのか」みたいなグループはなかった。またそれぞれのグループが少人数であったためか、あるいは歌唱力が高かったためか、複数で歌ってもゴチャつかず、綺麗なハモリを楽しめた。
ダンスに関しても、手足がキパッと動くし、ターンが決まるし、客に目を合わせてくれるし、どれほど練習したんだろうという感じだった。
そしてもちろん、アイドルに必要なのはやはり「魅力」である……「また会いたい」「応援したい」と思わせてくれるような「魅力」である……と僕は思うのだが、いやー、それがどのグループも本当に魅力の塊だった。ふらふらっと引き寄せられてしまうような芳しさだった。
ひとつずつ挙げて語れるほどの語彙力がないのでアレなんだけれども、とにかく充実したひとときだった、とだけ言っておきたい。
本当にありがとう(オタク特有の合掌)。
さて。
アイドルとはすなわち“偶像”である……という言葉を僕なりに解釈すると、それはつまり、何らかの主題/テーマ/コンセプトを用意し、それを生身の人間に纏わせることで完成させる一種の芸術である、というような話になると思う。
コンセプトといっても具体的なものじゃなくたっていい。「愛嬌があり魅力的で、歌と踊りがうまくて、元気を分けてもらえる」というようなのだってコンセプトである。
大抵のアイドルが恋愛禁止とされているのは、それがたまたま“偶像”のコンセプトとして求められているからなのだ。アイドルは残念ながら今のところ「大衆を愛し大衆に愛される存在である」ことを基本要素とするよう求められている。よって、「特定の個人を恋人と置いて愛情を注ぐ」という行為はアイドルのコンセプトに合わないものとして忌避される。
だからアイドルというのは危うい芸術だと思う。あの人たちは、一般的な人間に当たり前のごとく認められているはずの様々な権利を、「アイドルとしてのコンセプト」によって抑圧されかねない。
けれども、「だからアイドルというものは不幸な存在なのだ」、とするのは少々短絡的だとも感じている。大衆が認め大衆が憧れ大衆に愛される“偶像”は、もちろん燦然と輝いているわけだから。
その煌めきを自分の身に纏わせること、誰もが認め憧れ愛する“偶像”になりきること、それがアイドルの目標地点なのだと思うし、アイドルの仕事内容なのだと思う。
やったことないけど、アイドル。
だから個人的には、「アイドルは恋愛でも何でもバレないようにやれば良し」「ただしバレるな」と思っている。アイドルである以上は“偶像”を守るためのコンセプトに縛られざるを得ないけれど、人間である以上は自由に生きる権利があるのだから。
(……この価値観はゴシップ雑誌と相性が最悪なのである。かつて文春の記者氏のインタビュー記事を読む機会があったので読んだのだけど、「有名人のスキャンダルを暴いて世間に知らしめるのが人生最高の楽しみだ」というような態度だったので、こいつぁ分かり合えねぇかもなと思った。汚いところは隠して、醜いところは誤魔化して、“偶像”としてのアイドルを守ってやりたいと感じてしまうな、僕だったら。)
しかしアイドルに限らず有名人というものには「オフ」というのがほぼないので、そこが大変だろうなといつも思う。というのも、例えば僕だったら仕事を終えて家に帰ればただのオタクになれる、ツイッターで愚痴を言ってもいい。けれどアイドルはステージから楽屋に戻っても、そこから帰宅しても、まだ気を抜くことができない。コンセプトから外れた姿を大衆に晒さないよう注意しなくちゃいけない。かなり気を張った仕事だろうなと思う。
だからこそ本当に本当の、人間としての自分を再確認できるようなオフを作って差し上げるべきだと思うんだよな、な。
やったことないけど、アイドル。
……さあ、久々に人の集まるところへ行って久々に他者と会話したのでだいぶ疲れてしまった。早く寝たい。
けど、こういうときアイドルだったらまずはみんなへの感謝のツイートをするだろう、と思うと、やはりアイドルには頭が上がらないのだった。
とか散々語ったけどライブ直後はマジで語彙力がなくなった、みんな良すぎた。
またキンブレ振りに行こう(オタク)