世界のCNPから

くろるろぐ

腹が減った

腹が減った。

 

ここんとこ胃の調子が悪くていきなり吐いたりなんだりしていたんだけど、今日はそれが良くなってきたのか妙に空腹だ。まあ晩飯が足りなかった。うまかったけど。

 

高校時代、サイゼでミラノ風ドリアを食ったあとマックでビッグマックセットとポテトLを食う人とか、松屋でカレー食ったあと自宅で親の用意した晩飯を食う人とか、そんなのがいたのを思い出した。僕も成長期のデブなりにコンビニおにぎり10個とかを昼飯として食っていたけど、さすがに牛めし+ラーメン+菓子パンみたいな内臓破壊工作だけはできなかったね。

 

高校時代のことはあまり思い出したくないが、こうやって自分の傷つかない程度に(あるいは他者を傷つけた記憶に触れない程度に)上澄みだけを掬うようにして振り返ってみると、何だかんだ楽しかった部分もある。そりゃね。あるんだけれども、やっぱりまだ語りたくはないな。なぜなら、僕は本当にクズでゴミで、同情の余地もない最低野郎だったから。

 

いま僕のことを避けずにいてくれている色んな人たちを失うのが怖いというのもあるし、自分で自分の人生を振り返ったときにそういう汚いものだらけだということを再確認するのが怖いというのもある。嫌だな。そんな僕が「あの頃は何だかんだ楽しかった」なんて言えるかっつーと、ダメでしょう。

 

本当は僕のことを憎んで止まないあの人やあの人のためにも死んでしまったほうがいいのだが、そこまでの勇気は僕にはない。今のところ。というか、あの人、殺しに来ないのかな。会ったら殺してやりたい、と言っていたそうなのだが、会いそこねたためにここまできてしまった。まあいきなり「天誅!」とかいって殺されるよりは、理由を聞きたいところ。心当たりはないわけじゃない、が、あくまで予測でしかないので。

 

家族仲がボロボロになったのは僕のせいだ。僕が雑な生き方をしてきたために、父親が気分を害して荒れ、母と妹とが呆れて出ていき、祖母も狂いはじめている。どうにかしようとすればするほど全部おかしくなっていく。仕方ないね。僕だもんな。

 

さて一方、恋人氏との仲は前より多少マシになったんじゃないかと僕は思うけど、恋人氏からするとそうでもないかもしれない。少なくとも八つ当たりはしなくなったつもり、そこは精神安定剤に感謝したい、けども、向こうとしては他にも不満がたくさんあるんじゃないかなあと思う。

 

僕は自分の苦痛から逃げるために恋人氏を使いたくないので、というか恋人氏を守り慈しむ立場になりたいので、僕の家族の仲が荒れているからといって恋人氏に助けを求める気はない。なんてカッコいい言い方をしているが、これは数年間にわたる試行錯誤の果てに僕が出した回答だ。

 

僕は昔からどうも「人に頼り、人に頼られる」みたいなのに憧れちゃうふしがあって、頼り頼られる関係性を目指しちゃう悪癖があって、縋らせてくれそうな立場の人間……つまり「恋人」なんだけど、必要以上にべったり縋ろうとしてしまうところがあった。しかし何度も同じ失敗を繰り返しているうちにわかってきた、恋人氏は可愛くて優しいが、だからこそ頼っていい存在じゃないんだと。

 

いや頼る程度ならまだいいんだろうけど、縋りついて絡めとって巻きこんで苦しめてしまうのはダメダメのダメって話だ。人には限界がある。そして人は人の痛みを真に理解することなどできない。となると、自力で何とかするしかないんだよなあとなる。

 

結局のところ人は孤独な生き物なんだね。

不思議なことに僕は「誰かが助けてくれる」と思ったときよりも「誰も助けちゃくれない」と思ったときのほうが動きやすいみたいだ。気を抜いたら全てが自分に降りかかってくるのだと思うと怖くて馬鹿力が出るのかもしれない。そして、疲れる。そりゃ疲れるとも。けれど、その方がいいんだと思う。思った。

 

「人は孤独な生き物だ」というとき、世の中では悲惨な悲壮な雰囲気を纏わせがちだ。けれども、僕は今やケロっとしている。ひとりでやった方がいいような気がしている。何かとね。家族のことは嫌いたくない、友達には迷惑をかけたくない、恋人には嫌われたくない、僕はひとりで色んなことを、解決まではできなくとも、まぁ「うまく」やっていけるようにしたいってわけなのだ。その程度。

 

ここんとこツイッターの面々がそれぞれに苦痛を抱えているように見えるので、僕はつらい。端的につらい。文学部卒のくせして上手い言葉が出てこなくて、でもツイッターなんて言葉にしないかぎり何も伝わらない場なわけで、どう言おう……どう言おう……となってばかりだ。

 

みんなには死んでほしくないんだよ。だけど、死なないでくれって胸を張って言ってあげられるほどの何かを提供できるわけでもないのに、無責任なことなんて言えなかった。

 

解決策を考える、少しだけ頑張ってそれを実行する、その繰り返しでジリジリとマシな方マシな方へと進んでいくしかないんじゃないかな、と思うんだけどさ、それもできないくらい大変なんだよねってのも、見ていて伝わってくるから、本当に無理しないでほしい、なにもかも。

 

過去を振り返るのは怖い、未来を見据えるのも恐い、となると今を生きるしかないよね、もう楽しいことだけしていたい。怒鳴られるのも叱られるのも失敗するのも嫌だ、罪悪感も嫌悪感も味わいたくない。そんな夜だ。

 

そういや、ミラノ風ドリアといえばここのところ久しく食べていない。サイゼのペペロンチーノは意外とニンニクを強めに使っているので人と遊ぶときに食うのは避けていた。ただでさえ僕はニンニク臭のするデブだからね。懐かしいな。もう少し過去がキラキラしていたらそんな話もできただろう。

 

腹が減った。