世界のCNPから

くろるろぐ

ってのも厨二病っぽいし

昨夜のことだ。

仕事を終えて帰宅、食事を終えて入浴、さて寝るぞというタイミングで、父が僕に声をかけてきた。

 

「最近まで使っていた蓋つきの皿、どこへ行ったか知らないか? こう、青くて八角形で……焼き物の……」

 

僕はその「皿」自体をしばらく思い出せなかったが、記憶の糸を解きほぐしているうちに何とかその皿の幻影を手繰りよせることができた。確かに僕もその皿を久しく見かけていなかった。とはいえ、急に必要となるものでもないので気にしていなかったのだった。

 

「あれがなくなったのが気になって眠れない。どこへ行ったんだろう」

 

父は血走った目でそう呟いて、食器棚から冷蔵庫から居間の押入れに至るまでガチャガチャ探しはじめた。

すぐには見つからないと思うよ、明日にしたら? そう言ってなだめる僕に、父は泣きだしそうな目と怒鳴りだしそうな声で訴えてきた。

 

「いま見つけないと落ち着かないんだ……」

 

その姿があまりにも悲しくて、もしくは恐ろしくて、僕は見放すことができなかった。結局、思いつくところを探ってみる作業に少しばかり参加した。

僕は途中で限界を感じて寝てしまったが、父は遅くまで探していたようだった。

 

翌朝、つまり今朝だが、父は僕が家を出る時間になってもまだ寝ていた。休日だったらしい。

家を出る前、祖母の様子がどうもおかしかったので声をかけた。

 

祖母曰く、

「昨日の夜はずっとあの皿のことで怒鳴られてね。お前が壊して誤魔化しているんだろうって」

「クロルが先週、食事の直前に帰ってきたあの日からお父さんはずっとあんな調子なのよ」

「私も施設に入ったほうがいいかもしれない」

 

「でもまあ、私とお父さんは家族だから」

「大丈夫よ」

 

 

ああ、と思った。

 

 

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…………父の気持ちは全くわからないというわけでもなかった。というのも、僕もときどき突然「大切にしていたはずのもの」をいつのまにか失くしていたことに気づいてパニックに陥り、延々と探してしまうことがあったからだった。

精神安定剤を導入する前は、父と同様、誰かが勝手に隠したり捨てたりしたに違いないと思い込んで喚き散らすことさえあった(実際に僕の母は僕のものを勝手に捨てる人だったので、本当に捨てられていたこともあった)。 

 

僕も他者を理不尽に怒鳴り散らしていたなんて、僕の過去を知らない人からすると信じられないことかもしれないな。けれど僕の過去を知る人からすると「クロル」というのはむしろそういう人間であって、ここ最近のほとんど怒りを露わにしない「クロル」の方こそ怪しく見えるかもしれないのだ。

 

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まあ僕自身にも、どちらが自分の〈本質〉ってやつなのかわかっていない。

精神安定剤を導入した現在の僕は過去の自分を恥じて悔いて嫌っていて、現在のだいぶ落ち着いてきた僕こそ自分の〈本質〉に準じた僕なのだと思っていたい。自らの感情に支配されて周りを傷つけていた僕よりも、自分の感情を飼いならして自分の思い通りに行動できる僕の方が「僕」であるという感じがする。

けれど「自らの中から湧き上がってくる衝動的な感情」というのはどうにも“本能”という言葉と結びつきそうに感じる。「安定剤によって落ち着けられた僕」と「自然のままに荒れる僕」とを比べてみると、後者の方が「ありのまま」なんじゃないかと思えてくる。そうするとやはり僕の〈本質〉は荒れ狂う方になるのかもしれない。

 

現在の僕は「衝動的な感情を薬で無理やり抑え込んでいる」というより「衝動的な感情に支配されてしまう自分を薬で制御している」という感覚でいる。それでも、薬を飲んでいるという時点で不自然なんだろうか? 

さらに付け加えるなら、僕の〈本質〉がいずれであったとしても、僕は「衝動的な怒り」というキーワードを自分の人生から振り払うことができないわけで…………

 

「本当の自分はどこだろう」などという思春期にありがちなフレーズをまだ引きずっているあたり僕は本当に中学生なのかもしれない。「衝動的な自分を薬で制御」ってのも厨二病っぽいし。

 

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そろそろ話を元に戻そう。

そんなわけだから、失くした途端に大切だったと思い知り、見つからないと気付いた途端にパニックを起こす……そんな父の精神の流れは理解できた。

 

一方で、理不尽に怒鳴られて怯えている祖母にも同情した。大事に育ててきた息子が、妻にも娘にも見捨てられて夜な夜な獣のように喚き散らしている……冷静に考えなくても恐ろしいことだろうと思った。

祖母もそろそろ限界みたいだった。よく泣くようになったし、うなされるようになった。しかし祖母の哀しみは、やはり先の一言に集約されるだろう。

「家族だから」。

古い価値観に生きる祖母にとって、家族とは愛し合うものである。どんな喧嘩をしても、家族なんだからすぐ仲直りできるのよ、祖母はそう言って涙を拭いていた。本当に苦しかった。「怒鳴るのをやめて」、年寄り特有の細い声で叫ぶ祖母が、父のいなくなった部屋で必ず言うのが「家族なんだから」、そして語尾を無理やり上げた「大丈夫よ」だった。

 

僕はその「大丈夫よ」を聞くのが嫌なのだ。

 

怒鳴られつづけて痩せ細った母も、そんな母に嫌味を言われつづけてノイローゼになった父も、そんな父母の姿を見つづけてきて親というものを信用できなくなった妹も、そんな妹から無視されつづけてひっそり泣くようになった父も、みんな痛々しくて悲しくて苦しい。「家族なんだから大丈夫」、それはいつのまにかバラバラになってしまった僕ら一家には重すぎる言葉で、僕はいつも傷つけられるのだ。

 

母や妹はシステマチックな人間なので一家離散も大して気にならなかったようだが、父はどちらかというと家族愛を信じたかったタイプの人間で、だから苦しみも重いのだろう。

「いやお父さん、家族愛を信じたかったなら尚のこと怒鳴り散らしたり暴れまわったりしちゃいけなかったんじゃ……」、全くその通りである。

……だから僕は父に同情せざるを得ないのだ、僕自身も「衝動的な怒り」で周囲を傷つけ失ってきた人間だったから。そして同時に僕は父を殴りたくもなるのだ、僕自身は「衝動的な怒り」に危機感を覚えてちゃんと病院へ行って、一応は落ち着いていられるようにしたのだから。

 

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僕はこれから家へ帰る、あまり帰りたくないけど帰る。

僕は「家族」を見捨てるべきなのかもしれない、何度もそう思ったけど、僕が見捨てたら今度こそ壊れてしまうだろう祖母と父とを振り払って立ち去ることが僕にはどうしてもできない。結局、僕も「家族なんだから」に縛られているんだろう。

僕がちゃんとしていれば救えるかもしれないものを、僕が雑にしたせいで壊してしまう、そして永久に失われてしまう、という状況を味わうのが怖いのだともいえる。

 

……もし僕の推測が正しければ、父が突然、ほとんど使っていなかった「蓋つきの皿」を必死で探し出したのは、皿そのものが必要だったからではなく、「失うこと」が怖かったからなんじゃないかと思う。

 

僕もそうだから。