皮膚
ここ何週間も会えなかった某に今週こそ会いたくて、なりふり構わず連絡を入れた。某は以下のように答えた。
「ダニだか皮膚炎だか分からないが、ともかく自分の肌が酷いことになっている、感染性のものだと怖いので、食事くらいならいいが泊まりにくるのは困る」
僕は卒倒しそうになりながら、構わないからそばに置いてくれと訴えた。某は僕のしつこさに負けて折れた。僕がどれほど頑固で独りよがりな人間であるかということを、某は誰よりもよく知っていた。
皮膚炎に関しては太宰も作品にしている( 太宰治 皮膚と心 )。皮膚に異常を感じている真っ只中の人間がどれだけ卑屈になるか、太宰は知っていたのだろう。
命に関わるほどの病ではないけれど、確かに健常な状態からは外れている。容貌に影響する。そして、「触れる」という単純な行為によって感染しうる。そういった要素のひとつひとつが、やりきれない、どんよりとした感覚を患者に引き起こすのだ。
「自分に触れた人間が感染して、自分と同じ苦痛を味わうことになるかもしれない」というのは恐ろしいことだ。他者との接触、ただそれだけのことが危険行為として認識され、自分の殻に引きこもることを余儀なくされる。某が僕を退けるのも当然のことだろう。
まあ、そうやって半ば強制的に人から切り離され孤立を味わうというのも、悪くないものではある。誰も自分に触れられない、誰も近づかないでくれ、という、寂寥の感を湛えた万能感。ひとりぼっち、という味わい。そうして自分自身と向き合う機会だと、捉えようと思えば捉えられなくもない。自省というものは孤独の中でしかなしえないものだ。
それでも僕は会いに行くと主張して引かなかった、そういうところが僕のダメなところだと分かってはいた、しかし僕は僕でいっぱいいっぱいだったのだ。皮膚によって心がやられた某と、心によって皮膚がやられた僕と、今週は共に過ごすこととなる。
どうせ大して触れ合いはしないだろうしな。