世界のCNPから

くろるろぐ

僕は努力を放棄している

僕は努力を放棄しているのかもしれない。それが上司の目にも明らかなのかもしれない。僕が無能で無謀で無気力であることを、あらゆる人々はすでに知っているのかもしれない。僕はそれを自分に対して誤魔化しているだけなのかもしれない。

 

相変わらず仕事が面白くない。いや、正確には「うまく面白いようにできない」。たぶん、自分の力でもってもう少し面白くできるはずなのだ。効率化のための手段は打っている。早く帰るために全力を尽くしている。それでも、まだ足りない。面白くない。飢えている。もっと面白いことをやってみたくて、飢えている。

 

ここのところ、先輩と話すのが怖い。先輩はいい人だ。優しくて、真面目で、知識も豊富で、仕事も丁寧だ。僕は恵まれた環境にいる。友人としてなら、先輩とはうまくやれただろう。けれど、僕は先輩と話すのが怖い。

 

僕のやりたいことを申し上げて、それが通らなかった場合のことを考えるのが面倒だ、というのがひとつある。効率化のために手を打とうとしたところで、「それ要らないんじゃない?」の一言で流されてしまえばおしまいだ。ちなみに、こっそり勝手に進めたところで、あとあと「要らないって言ったのに……」となって揉める。結局、面倒に変わりはない。

 

そもそも、先輩の流儀というのが「効率化のための仕組みを構築するのに手数がかかる場合、むしろ従来の非効率的なやり方で進めてしまったほうが早い」といったものであり、まず僕の価値観と合っていない。僕は非効率的な作業をしたくない、単純作業も苦手だ、とにかくボタンひとつで全て片付いてほしい。このあたり、僕と先輩とは噛み合っていない。

 

また、先輩は完璧主義者なので、失敗を報告する相手としてこれほど厄介な人もいない。おそらく先輩の元来の性格なのだと思うが、「なぜ失敗に至ったのか」を根源まで遡らねば気が済まないらしい。僕としては「寝ぼけて間違えました」以上の何物でもないような失敗でも、とにかく根底まで辿りつこうとしてくださる。そりゃ、僕だって「なぜ」を考えるのは大好きだ。けれども、それは自分の過去や失敗に関わらない分野に関しての話だ。まあ、だから先輩のお気持ちもわかる。僕の過去や失敗は、先輩の過去や失敗ではないからね。

 

さらに、先輩の尊敬する上司というのがいわゆる「昭和のモーレツサラリーマン」を地でいくド根性オジサンなのだが、その熱い説教を一身に浴びながらキャリアを積んできた先輩は、僕にもそういう熱さをもって接してくださる。まあ、僕は熱い人というのも嫌いじゃない。仕事熱心な人に対して尊敬の念もある。ただ、話が、ちょっぴり長い。30分間も聞き続けていると、この時間で作業を進めた方がいいのではという気持ちになってしまう。そういう態度はよくないと自分でも思ってはいるが。

 

先輩は完璧主義者に加えてプライドの高い人間でもある。自分がやります、できます、そういって残業を自ら買って出てらっしゃる。僕のことを信用していないので(当然)、基本的に仕事を割り振りたがらないのだ。それでいて、残業時間をつけない。曰く、「あまり残業代を申請すると会社に迷惑がかかっちゃうから」。なんたる、聖人。僕は純粋にすごいと思った。ただし、巻き込まれたくないと思った。

残念なことに先月は巻き込まれ、「新人の君がこれだけ残っているというのに、上司である彼女は即座に帰ったというのかね? 本当に?」というような説教を受けた。しかしその理屈だと、僕も部下を持ったら無限に残業しなきゃいけないことにならないか?

 

等々。

 

僕は努力を放棄している、それは上司の目にも明らかだ、僕が無能で無謀で無気力であることを、あらゆる人々はすでに知っている、僕はそれを自分に対して誤魔化しているだけなのだ。