世界のCNPから

くろるろぐ

痛みつづけている

どこかが痛みつづけている、というのは実によくないことだ。

 

今日は別部署の先輩が「舌の裏が炎症を起こしてめちゃくちゃに痛いから病院に行ってきます」という理由で少しばかり出勤時間を遅らせてきた。僕の直属の方の先輩ならきっとしないだろう休み方だった。けれども僕は、「舌の裏が痛い」という状況にひどく同情した。それは命に関わるほどでない、誰にも見えない痛みだけれども、そこにあるだけで持ち主の心を少しずつ蝕むタイプの痛みだと思った。

 

僕はいま、風邪か何かで喉を痛めている。ものを飲み込まずとも、声を出さずとも、ただじわじわと痛い。こういうとき、僕の喉はいわゆる「ヒリヒリ」型の痛み方ではなく、僕の喉専用の独特な痛み方をする。ズキズキとかガンガンとか、痛みを表す擬音語は山のようにあるわけだが、僕のこの痛みはそれらのどれにも当てはまらないような気がする。強いて言えば、目の細かいヤスリを巻いた舌圧子で喉奥を押されているような……同時に首を絞められているような……そういう痛みだ。

 

外見からではわからない症状なので人には察してもらいようもないし、自分としても家で寝込むほどの事態じゃないように思うし、そんなわけで僕はいつも通りの生活を送る。しかし僕の喉にはそれが面白くないらしく、構ってもらいたがっているかのようにじわりじわりと痛みつづける。これが思いのほか鬱陶しい。“痛み”には存在感がある。忘れようにも忘れられない。「苦痛」という熟語にも「痛」という字が入っているわけだけれど、痛みそのものが苦痛、苦痛すなわち痛み、やりきれない。

 

ひとまず葛根湯を飲んだ。手元を探っても風邪薬の類は他になかった。喉の痛みに効くものかどうかはわからないが、これが風邪なら風邪の治癒とともに喉も治るだろう。

葛根湯があるだけでも幸いというものだ。そのときどきの痛みに対して都合のよい薬がいつもあるとは限らない。