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くろるろぐ

観てきた演劇の雑感

さっき観てきた演劇の雑感だけまとめたいのでまとめる。

 


観てきたのは劇団「公式愛人」さんの「ミス・キャスト」。

 

( “ 次回公演 - ko-shikiaijin ページ! ” - 次回公演 - ko-shikiaijin ページ! )

 


【あらすじ引用】

台風の真っ只中にある、24時間営業のファミリーレストラン

 

深夜0時をまわった頃、不人気なブライダルプラン会社の写真(原文ママ・おそらく「社員」)である主人公・キミコと

その上司・マナベは頭を悩ませていた。

「あと一組、あと一組…」

二人が勤める弱小会社は、チャペルや式場を持たず事前に他社の式場を抑え、

そこに客をあてがうシステムで成り立っている。

今月のノルマはあと一組だが、逆にあと一組しか式をあげることも出来ない。

しかし、その一組がなかなか見つからないのだ。

 

「結婚してください」

そこへ聞こえてきた、公開プロポーズの声。

それも、同時に、三組。

 

早速営業をかけるキミコ達だが、三組のカップルにはそれぞれ、事情があるのだった。

 

 

一体だれが祝われるべきなのか。

祝われるべきでないのはだれなのか。

 

公に式の出来ない愛すべき人たちに送る、公式愛人からのラヴ・メッセージ。

 

今回の作品についてのチャチャッとした雑感だけ先にまとめておきます、忘れそうなので。推敲ゼロの超雑感なので適当に聞き流してくだち。

ややネタバレありです(千秋楽は迎えたけれど一応の忠告)。

 

【演出について】

さっきその場にいた某氏にも言ったとおり、「目を向けるべきポイントが複数箇所ある」というか「抱くべき感情が複数種類ある」というのはバランス感覚が必要だなと。


浜辺のカップルが中心のシーンの端っこでグラビアアイドルがポージングしていたら当然そっちを見てしまうし、シリアスシーンの最中に絶叫しながら走り去るギャグキャラがいたらそっちを目で追ってしまう。

中央にいる二人に泣かされている最中に、画面端でギャグシーンが繰り広げられていて、泣くべきか笑うべきか!? みたいなことになったりとか。


何度も出てきた以上それは狙って作られた演出というか現象なんだと思うから、そういう点では劇団あるいは脚本家もしくは演出家の持ち味なんだろうなと思った。


前に観た別の劇団では「シリアス」と「ギャグ」とをスイッチで切り替えるようにパキッパキッと出してきていたから、泣いたあと笑う、笑ったあと泣く、っていう切り替えが分かりやすかった。

一方、画面上を同時に複数の「感情」が駆け回る場合、どれを選びとってその瞬間を味わうかというのが鑑賞者側に委ねられるんだな。漫然と観ているとごちゃついた空気に呑まれてしまって、最も目立つ「笑い」に引きつけられてしまうけれど、実はその裏に「悲しみ」が隠されている、という感じ。


これ実はバランスが決まるとなかなか強力で、散々ギャグに使われてきた「リンダリンダ」が重要シーンのセリフに使われることで ぐっ……と息詰まらされる、そういうのが見事だなと思ったりなどした。

 

【脚本について】

ひゃー怖いなあと思ったのが、主人公に「正義」というか「正道」、「一般」? 「普通」? を叫ばせることで、逆にそこから「外れた」人たちの耐えがたさを浮き彫りにするという背理。

「僕にはあなたの意見がわからない」「逃げちゃいけない。現実を見なきゃダメなんだ」と叫ぶ主人公の「正論」が、カップルたちの心に針を刺し、その痛みがこちらにも刺さる。

 

「……あなたは“ただしい”ひとなんですね」

 

主人公に「正論」を言わせるだけの物語であったなら、カップル側からこんな台詞は出てこようはずもない。

 

 

この作品には3組+1組のカップルが登場し、それぞれが「普通」の目から見ると「外れた」カップルかだ。

 

1組目は「自分の恋人には他にも恋人がいて、私は3番目。それでも幸せだからいい」、そんな女教師と、その彼氏とのカップル。

 

……この女教師の決意は“逃げ”にあたるのだろうか? 3番目にすぎないという事実を受け入れた上で、それを幸せとして認識しようとする、それもひとつの闘い方ではないのか?

 

……3人の女を抱えてフラフラ生きていく、「俺はそういう奴なんだ」と苦笑する男……これは“逃げ”だったろうか? 男が語る女教師への愛情は紛れもなく真実であり、一方ほかの女へ語る愛もまた嘘ではない、……「普通」なら引っ叩かれて嗤われてクズ野郎として扱われるであろうその態度を、「俺はそういう奴だ」と貫くことにした、それは彼の、彼なりの在り方ではないのか?

 

しかしそれでも、主人公は女教師に対し、「そんなの悲しくないんですか。あなたは本当にそれでいいんですか」と迫る。また男にも、「恥ずかしくないんですか、ほかの女性と別れるべきでしょうが」と食ってかかる。

 

結局、女教師は主人公の言葉に揺れ、男に「自分かほかの女か選べ」と迫ってしまう、そして男は去ってしまう。女教師は笑いながら言う、「ほら、こうなっちゃうじゃないですか」。

 

これが「主人公の「正論」を受けた各カップルが「一般」の感覚を取り戻して「普通」になる物語」であったなら、女教師は男と離れて「普通」に自分だけを愛してくれる人を探せばよく、それがハッピーエンドだと見ていい。しかし女教師は去っていく男を追って駆け出していき、その行方も恋の末路も描かれない。

 

 

2組目は、相手を愛するあまり相手の愛を無限に欲して怒り狂ってしまう少女と、相手を愛するがゆえに相手の怒りをどうしていいかわからない美容師のカップル。

 

この二人は主人公ではなく、その上司が担当した。二人は順当に恋仲となったが、いつしか少女の愛の重さが美容師を悩ませてしまっていた。美容師は「結婚はできない」と突き放し、少女も立ち去ろうとする。

 

そこで主人公の上司は「いま逃げたら後悔します」「いちばん大きいのは、聞かなかった後悔と、言えなかった後悔ですから」といって二人を引き留める。美容師は少女に再び告白し、二人は結婚よりももっと前の時点からやり直すこととしたのだった……。

 

……この二人にとって、「互いを尊重して距離を置く」ことが“逃げ”だったのだろうか、「現状を維持する」ことが“逃げ”になるのだろうか。このカップルに関して言えば、“逃げ”の定義は曖昧だ。

 

 

3組目は、先輩に強姦を受けた女と、それを「上書き」するよう頼まれて望みを叶えた男とのカップル。二人は愛し合っており、結婚に対して最も前向きだった。

 

しかし主人公は、「現実から目を背けて「上書き」しようとしたって現実は変わらない」と突きつける。ここで例のセリフが出てくるわけだ……

「あなたは“ただしい”ひとなんですね」

彼らはそれだけ言って、主人公の前から立ち去る。

 

一体だれが祝われるべきなのか。

祝われるべきでないのはだれなのか。

 

この問いは、誰が誰に対して向けたものなのか。

答えは誰が返すのか?

 

 

主人公は何度も「逃げてはいけない、現実を見なきゃいけない」と繰り返す。

けれど、僕が思ったのは「“逃げる”ってなんだ?」「“現実”ってどれだ?」ということだった。

 

 

最後のカップルは、主人公と、主人公の上司。主人公は上司に想いを寄せていた、一方、上司は既婚者だった。しかし上司は結婚生活に苦しんでおり、主人公の告白を受け入れ、不倫関係を結んだ。

 

「あなたは旦那さんと結婚していなければ僕を好きにはならなかったはずです」「僕はあなたの天国に付き合うことはできません。ここはすでに地獄なんですから」。主人公は冷酷な言葉で、愛しているはずの上司を旦那の元へ……「現実」へと帰らせる。しかし最後に一度だけ、上司に結婚指輪を外させて抱きしめた……。

 

 

……例えばこの場面、「主人公が旦那から上司を奪う」というのもひとつの選択肢としてあったかもしれない、「上司が苦しい結婚生活から逃れるため離婚する」というのもアリだったかもしれない、……それらの選択肢は無に帰して、「現実を見るべきだ」と叩きつける、それが“逃げない”態度なのだろうか?

 

……何をもって“現実”とするのか、「祝われるべきでない」とされる状況とはどれなのか?

 

 

この脚本の凄さは、主人公視点での……主人公の価値観上の「普通」だとか「逃げ」だとか「現実」だとかを、主人公に「言わせる」ことによって、逆説的に「異常」だとか「夢想」だとかの中に生きる人々の――それは主人公自身さえも含んでしまうわけだが、そんな彼らの――苦悩を描き出しているところにある、……なんて僕は思った。

 

その超絶技巧を支える要素のひとつとして、登場人物の心情をモノローグするシーンがない、というのがあった。

 

現実において、他者の心情それ自体は決して読み取れない、人間は他者の心情を言動から汲み取らなければならない。

この作品では同様に、主人公を含めた全人物の心情を言動から汲み取るしかない。

 

完全無欠なる「正義」の主人公であったなら、最後に結婚指輪を外させることはないだろう、そもそも既婚者に懸想することすらないだろう。主人公自身も揺れていたのだ、「正道」や「普通」と、「邪道」や「異常」との間で。そして主人公は主人公なりに選択し、ほかのカップルにも主人公なりの言葉を投げかけたのだ。

しかしその「主人公なりの言葉」は、それぞれのカップルの懊悩をむしろ露出させ、全ての「恋愛」の在り方をチクチクと刺した。

 

カップルたちの末路は様々だった。主人公の言葉は、きっと彼らの運命に影響を与えたことだろう……が、結局どんな結論が「正解」であるか、ということを示す物語ではなかった。幸せの在り方について、誰しもが悩んだまま去っていった。

 

「正論」振りかざし系の作品とは一線を画す、そういう物語だと僕は思った。

 

 

 

 

 

雑感とは?

長くなりすぎなのでは?

 

疲れた……。

 

実は僕は借金をしてまで脚本を(しかも今回のチームの初稿と最終稿・見ていないチームの初稿と最終稿、で4冊も)購入してきたので、読んだらまた感想が変わるかもしれない(あとで金は返します)。

 

演劇は、舞台上で観るのと台本として読むのとで印象が全く変わる。観劇時の雰囲気だとか、体調だとか、曖昧になっていく記憶だとかによって、だいぶ別物になってしまいうる。なので、この感想文は観劇当時の感覚を詰めたものとして取っておく。台本を読んだら思い出せなくなるかもしれないから。

 

とりあえず、やはり演劇はいいな。グラビアアイドルも綺麗だったしね。

観劇すると創作意欲の芽みたいなものが顔を出しがちなんだが、焦るばかりの僕である。