世界のCNPから

くろるろぐ

九年前のあの夏の日

「水鉄砲で遊ばない?」

 

夏場は家から出ない、と宣言していたあの子がそんなことを言いだしたのは、今から九年前の八月のことだった。ちょうど今と同じように、ミンミンゼミが求愛活動に励んでおり、目にしみるほどの青空が千切れた白雲を抱いており、湿度を重く含んだ空気がじわじわと肌を焼いており、夏、だった。ただし僕らは互いに高校の制服を着ていて、それだけが今と違う点だろう。

 

僕はあの子の口からそんな言葉が出ると思っていなかったから、かなり仰天したのを覚えている。僕は僕らの間にそういう健康的で活動的な〈夏〉などありえまいと思っていた。遊園地は面倒臭い、花火は合法的にできる場所がない、夏祭りは暑い、海は遠い、……何だかんだと言って冷房の効いた場所から動きたがらないあの子に、半ば呆れつつも惚れ込んでいた僕は、いつのまにかインドアな人生に慣れはじめてすらいた。そんな矢先に「水鉄砲」である、当然ながら僕は二つ返事で了承した。

 

さて後日、僕らは高校から程近い大きな公園を戦場と定め、制服姿のまま数メートル離れて互いに黙礼し、それぞれの得物を相手へ向かって構えた。

 

……僕が引き抜いたのは、当時の僕が涼むのに活用していた霧吹きと、子ども向けのオモチャ屋さんで購入できるようなハンドガンサイズの水鉄砲。

……あの子が鞄から取り出したのは、タンク容量二〇〇〇ccのエアー圧縮式ウォーターガン。

 

え?

 

僕が呆気に取られているなか、あの子は悠々と空気を圧縮して銃口を僕へと向け、開戦直後の間合いから一歩も動くことなく僕の肩を射抜いた。僕の手から霧吹きが転がり落ち、情けなく乾いた音を立てた。

 

僕が我を取り戻したとき、あの子は片頬だけをニタリとあげながら既に二発目を用意していた。来る、と察した僕はハンドガン片手に決死の覚悟で間合いを詰めた、……だが飛距離十メートルを超えるエアー圧縮式に古びた引金式が敵うはずもなかった。

僕の発射する水がやっとあの子に届くようになったころ、僕の制服は既に池にでも落ちたのではないかというほどビショビショのドロドロで、ワイシャツの下に着ていた(三枚千円の)アンダーシャツまで浸水していた。

 

「卑怯者……!」

「“勝てる得物”で来ない方が悪い」

 

あの子の足元へ泥まみれとなって伏した僕の脳天に、あの子はゼロ距離で温い水を撃ち込んだ。

 

――決着。

 

 

その後、僕らは公園の木陰でアイスでも舐めながらビシャビシャの制服を乾かしたんだったと思う。僕が最期の力を振り絞って放った一撃でわずかに濡れたワイシャツを纏い、キラキラ変形しつづける木漏れ日に照らされていたあの子は、僕が今までに見たどんなあの子よりも綺麗で、淫靡ですらあり、……僕は苦しくなって目を逸らした。

夏の日差しは悔しいほど力強く、僕らの体を瞬く間に乾かした。そればかりか、お節介にも僕のアタマまで沸騰させようとしたのかもしれなかった。

 

 

…………。

 

あれから九年の月日が流れ、八度の夏が訪れた。

僕の過ごしてきた夏のすべてが上述したような思い出を孕んでいるのかと問われれば、答えはノーである。むしろ僕にとって夏は、暗澹と陰鬱の季節だ。

……僕の癇癪があの子を傷つけたのも夏だった、僕の依存があの子を苦しめたのも夏だった、……「しばらく会いたくない」と言われ、距離を置くこととなった悪夢のような日々の、始まりの季節も夏だった。

 

だから僕は本当のところ夏を忌み嫌っている、はずなのだが。

 

……僕には二種類の「過去の思い出し方」がある。ひとつは自分の失敗や後悔を思い出し、悲しませてしまった他者を思い出し、自分の存在価値が自分で信じるほど高くないということを再認識する「思い出し方」である。日頃の「思い出し」は圧倒的にこちらが多く、日常生活の中でフラッシュバックするのも、僕が酒に溺れている夜のお供となるのも、こういう「思い出し」である。

 

もうひとつは、過去の自分を完全に棚に上げ、うまくやれた場面の自分だけを抽出して、「僕は幸せだった」と思い込む自慰的な「思い出し方」だ。そういう思い出はそもそも数が少なく、掌編にも満たないごく小さな物語であり、しかも僕という僕に都合のよい語り手の言葉を通すことで嘘や欺瞞や記憶違いを多分に含んでしまっている、もはやそんな出来事など現実にはなかったのではないかとさえ思えるような「過去」である。

僕はそういう「過去」を時々、意識的に記憶の海から拾い上げる。そうして光に透かしてみたり手の中で転がしてみたりして、いわばズルをする、自分に都合のいい嘘をつく。「僕は他者を傷つけてばかりだが、かつて他者を楽しませたこともあるんだ」。

 

そうでもしないと自殺に至らない自分に論理的な説明がつかないから……要するに、そうでもしないと自分の心を保てないからである。

 

「だから僕は〈夏〉が好きだ。〈夏〉は海も花火もあるし、星も綺麗だし、実に“エモーショナル”な季節だからね。ああ、〈夏〉は好きだ。」

 

僕はそういうところ、致命的に嘘つきだ。

 

「九年前のあの夏の日」は、僕の脳内でどんどん輝きを増している。その光を再演しようとして、僕は夏になると海へ行くし花火をするし星を見るし、水鉄砲を買うのである。