世界のCNPから

くろるろぐ

いま最幸に熱いアイドル「最高に幸せな私たちの世界。」を推せ

2019年10月27日、僕はなけなしの金を握りしめ、東京は大田区にある東京流通センターを訪れた。

 

「M3」、初参加である。

 

「M3(エムスリー)とは、日本の同人イベントの1つである。製作者が音に関連した創作物をCDやDVDなどの媒体に記録し、その作品を自ら販売する音系即売会を代表する存在となっている。」

(参考 : “ M3 (同人) - Wikipedia ” - https://ja.m.wikipedia.org/wiki/M3_(%E5%90%8C%E4%BA%BA) )

 

僕がなぜ突然かような祭典へ出かけたかというと、とあるアイドルユニットがそこに出展すると聞いたからである。

 

すなわち、「最高に幸せな私たちの世界。

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「最高に幸せな私たちの世界。」、略して「最幸。」とは、「アイドルは、病んでるくらいがちょうどいい」を主題に据えた新生新鋭アイドルユニットだ。

 

かつて地下アイドルのライブに5時間以上居座ったこともある僕は、「アイドル」という存在に対し一定の尊敬を抱いている。

 

cnp.hatenablog.com

 

そんなだから、自分の友人たちが「アイドル」としてやっていくと聞いたとき、僕は逸る気持ちを抑えられなかった。アイドル!

 

といっても「最幸。」は、今のところ地下でライブをするような形式のアイドルではない。ひとまず今回のM3出展にあたり、CDに命を吹き込んだという段階である。

 

ふと思った、一般的な(?)アイドルはライブが先でCDが後になりがちだけれど、「最幸。」はまずCDからだな。

 

それはさておき、僕はその華々しき「最幸。」デビューCDを買い求めるべく、そしてあわよくばアイドルたちと接触するべく、東京流通センターへと駆け込んだのだった ( 走ると危険なので歩いて ) 。

 

……では、「最高に幸せな私たちの世界。」デビューCD「病的に可愛いって言って」、その感想を語らせていただこうと思う。

 

 

コンセプトについて

先に述べたように、「最幸。」は「アイドルは、病んでるくらいがちょうどいい」をテーマにしている(今回のアルバムだけの話だったら申し訳ない)。

 

まあ要するにいわゆる「メンヘラ」である(失礼)。

 

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カタログにもそう書いてある。

 

……僕が思うに ( まあ僕が思っているというよりは概念的に見て ) 「メンヘラアイドル」とは、「「メンヘラ」である以上「可愛くない重い苦しい痛い存在」である」という社会的定義を実際にその身に背負って悶えていながら、それを「アイドル」 ( = 「可愛い女の子」なる偶像 ) として赦される程度の「可愛さ」に落とし込みつつ、しかも“コンセプト”として魅せなければならない、高難易度の主題である。

 

その主題を表現するためには、「可愛くない重い苦しい痛い」と「可愛い」との均衡点を見出さねばならない。そしてその均衡点は、【「アイドル」である以上「可愛い女の子」なる偶像で在らねばならない】という前提に引っ張られる……この世界で、ガチンガチンの「メンヘラ」が許されるために必要な唯一の免罪符は、「可愛く在ること」だからだ。

 

顔が可愛ければ殺人を犯しても赦される現代社会において ( 僕は未だ、恋人を殺した女の顔が可愛かったために「ヤンデレ」と呼ばれ褒めそやされた事件のことを忘れられないでいる )、「メンヘラ」程度のことなど「可愛く在れば」いくらでも赦されよう。よって「メンヘラ」と「アイドル」とが掛け合わされるとき、「アイドル」としての「可愛さ」は必須となってくる。なって、きてしまう。

 

そのために「メンヘラアイドル」は日夜、アイドルとしての「可愛い」を血の出るまで磨き上げながら、同時に「病み」と闘い、「病み」を「可愛い」の世界観へ昇華させようとしているのだ。たぶん。

 

「メンヘラ」に対する人々からの冷遇や嘲弄、「アイドル」に対する世間からの期待や夢想、どちらかだけでも人間が背負うには重すぎる荷物だというのに。

 

ちょっと熱くなりすぎて脱線してきたので元に戻ろう。

実を言うと既存アイドル界にもいわゆる「メンヘラ」をテーマとしたユニットはいくつか存在している。僕も何組か密かに推している。

 

しかし「最幸。」は、そんな僕が今まで見てきた「メンヘラアイドル」たちと一味違う種類の「メンヘラアイドル」だ。“一味違う”という便利ワードを使ってしまうと終わってしまうので、どこらへんがサイコーなのか言語化していきたい。

 

 

曲について

まず前提として僕には音楽知識がない。楽譜は読めないし音感もない。ここは押さえておいてほしい ( 予防線 )。

 

また、僕はダンスミュージックとかユーロビートとか、そういうパリパリピッピッピな曲が割と好きな方だ。かつて僕自身がまぢ病み期だったころに友人から聴かされて以来、そういうCOOLなやつにハマってしまった。

 

以上のような特徴をもつ僕が、お世辞抜きに本気で、「最幸。」の音楽性にブッ刺されてしまった……ということ自体が、「最幸。」の雰囲気を説明するにあたって最もわかりやすい回答だろう。

 

アイドルソング」なるものに人々がどのような印象を抱いているか分からないが、少なくとも僕は「最幸。」の出した“答え”を今までの「アイドルソング」と一線を画すものだと断言できる。

 

そもそもモジュラーシンセ界で有名な美少女が作曲と編曲とを担当しているのだからキメッキメに決まっているのだ……

 

間奏が「アイドルの声が聞こえない寂しい時間」としてではなく、息を呑むような「楽曲」として完成している。冗談でなく鳥肌が立った。欲しいところに欲しい音が響く。そして、可愛い。

CDに収録されているinstrumental( 声が入っていない版 )を声入りと同等にひたすら聴き込んだのは今回が初めてなんじゃないか。

 

全体的にクールでありながら、女の子たちの歌声を――歌声の話もあとでするぞ! ―― 包み込んでキラキラ瞬かせる。甘くて、でも毒がある。「病み」の概念が音楽の姿をして流れてくる。

 

音楽のジャンル分けは難しいので僕にもこの音楽がどれに当たるのかわからないのだが(無知)、もはやどれでもいい……どれでもあり、どれでもない。彼女たちは間違いなく「アイドル」である、ただし、ただの「アイドル」だと思っていると返り討ちに遭うのだ。

 

 

歌声について

まず僕は音痴なので……もう予防線はいい? 本題に入ろう。

 

初めて聴いた際の感想、一言で言うと「マジ?」。

 

順を追って話そう。

まず前提として、可愛い声の人間が言葉を発するとき、その一文字一文字の頭には何だかわからない“カワイイ成分”が含まれると僕は思っている。……僕は本気で言っているんだけれど、おそらく伝わらないだろう。いいよ……伝わらなくて……。

 

あれは実際なんなんだろう、と僕自身も思う。文字の頭で吐息が絶妙にこもっているのだろうか、それとも特殊な子音が語頭についているのだろうか。あるいは超音波のようなものが出ていて、本能的に惹きつけてくるのだろうか。実は昔から疑問に思っているのだが。

 

ともかく、“それ”が発されると僕は勝てない。今回は本気でアイドルを推す記事だから余計なことは言わないでおくが、“それ”が発されたときに勝てたことはない。バイノーラルじゃなかったとしても勝てない。“それ”が聴こえたら、終わり。

 

で、……「最幸。」の皆さんはドンピシャで、“それ”を発することのできる人々だった。

 

リアルに「マジ?」って声を出した。

 

ただ甘い、ただ可愛いというのではない。彼女らの抱える澱が歌声の奥底を微かに震わせる。機械めいた無機質な響きと、悲哀を抱いた人間的な声色と、それらが巧妙に絡み合う。

 

しばらく聴いていると、上手く言えないが……じゅわ、というような感覚が体を走った。涙なのか血液なのか、とにかくどこか液体めいた感覚。その滲み出るような歌声に、恥ずかしながら僕は危うく泣きかけた。

 

彼女らは掛け値なしに、本物の歌姫たちだと思う。これから寒い季節になるから喉を潰さないように気をつけてほしい( 自分をアイドルに認知されていると思い込んでいる彼氏面オタクの物真似 ) ( 裏垢で晒される ) (その裏垢を晒す人が出てくる ) ( でもアレってアイドル本人だけじゃなく彼氏面オタクにもダメージ入るよな ) ( 争いは何も生まない )。

 

 

歌詞について

歌詞! 僕は歌詞カードを眺め歌を聴きながら心の中でヒュウと口笛を吹いた、そのくらい切れ味のよい歌詞だ。

 

何しろ“飾られて”いない。

 

通常「アイドルソング」は専門の作詞家によって作詞され、アイドルたちはそれを受け取って歌うことになると思う(普通に例外もあるかもしれないが)。

 

しかし「最幸。」は、自分たちで作詞し自分たちで歌っている。結果、自分たちの生の感情が歌に乗るのは当然のことだ。シンガーソングライターとアイドルとの良いとこ取りとでもいえようか。

 

……ね。だってこれ、■■■とか■■とか経験していなかったら書けないでしょ。無理やり夜を迎えに行く感情を知らなければこの言葉は選べないでしょ。

 

実際の日常生活における苦痛を、高い語彙力によって高等な詩文へと生まれ変わらせる……本来それは専門の作詞家こそが持つ能力であるのだろうけれど、「最幸。」の皆様は自らそれを成してしまっている。とんでもないアイドルだ。

 

聴くたび出血させられるような純正の悲鳴、それでありながら詩的かつ絵画的。艱難辛苦の情景が聴き手の眼前に浮かんでは消える。歌詞カードを読んだだけでもゾワリと世界観に浸れる、そんな歌詞である。

 

 

とにかく好きだって話

例によって語り過ぎてしまったな?

 

「メンヘラアイドル」という主題の難しさについては先に述べた。それを踏まえていうと、一般的な「メンヘラアイドル」が隠してしまう部分、アイドル的「可愛い」で誤魔化しきれないと判断して完全に秘匿してしまう部分、そういう本気の「病み」を、「最幸。」はきちんと「可愛い」状態で魅せてくれていると感じる。

 

つらい苦しい助けてほしいという痛ましいほどの激情を、起伏ある詩として織り成してある。それが少女たちの蠱惑的な声によって紡がれ、曲として芸術として立ち現れている。だからこそ、「最幸。」の作品はしっかり「可愛い」。

 

「病み」を誤魔化すのではなく、むしろ高火力で攻めることによって「可愛い」に織り込んでしまう、そういう強気の「メンヘラ」だ。

 

「メンヘラ」という言葉で人々の気を引き、「アイドル」として売るための商材に使う、そういう種類の「メンヘラアイドル」とは話が違う。

彼女たちは確かに、「メンヘラ「なので」、アイドル始めました」……なのである。

 

今後「最幸。」がどのように活躍していくかは未だ不明だ。しかし、少なくともここにひとり、ドハマリしたファンがいるということだけは記しておきたい。

無理に活動しようとすればそれこそ苦しくなってしまうだろうから、本人たちが余裕ある笑みを浮かべられる範囲内で今後ともご活躍いただければと思う。

 

兎にも角にも、いま最幸に熱いアイドル「最高に幸せな私たちの世界。」を推せ。