世界のCNPから

くろるろぐ

そういう意味で僕はいま

昨夜、20時過ぎ。仕事を終えて退社した僕を待っていたのは、すべての灯りが消えた自宅だった。

 

この真っ暗な家を目にした時点で、僕はひどくがっかりした。このくらいの時間なら、いつもであれば家族――父親と祖母――がテレビの前で歓談しているはずで、そうでないということは“何かがあった”ということになるからだった。

僕は家のドアをできるだけそっと開けて我が家へ滑り込んだ。祖母の寝息がわずかに聞こえた。家中が森閑としていて、まるで誰もいないかのようだった。

 

テーブルの上にはコンビニ弁当がふたつ、粉末の「お吸い物」の大袋がひとつ載っていた。僕は正直なところあまり食欲がなかったのだけれど、食べておかなければ怒られると直感して、より少ない方の弁当に箸を伸ばした。

Twitterを眺めたりLINEを返したりしながらのんびりと飯を食らっていると、急にどこかのドアが激しく閉められる音がして、数秒後に祖母が現れた。祖母は機嫌の悪い表情を浮かべながら、「胃が痛いので夕飯は食えない」とだけ言い残して就寝しなおした。もうこれだけで、僕のいない間に我が家がどう荒れていたのか想像できるというものだった。

僕はなるべく平常の声を出しながら、祖母の体を気遣う言葉をかけておいた。そうしなければならなかった。

 

そんなこんなでどうにか飯を完食し弁当の空き箱を洗っていると、続いて父親が現れた。父親は僕の洗った弁当箱を一瞥し、続いてテーブルの上へ残されていた手付かずの弁当に目を留め、「食べなかったんだ」と呟いた。

僕は食べたんだけれどおばあちゃんはお腹が痛いみたいだよ、と僕が告げると、父親は憎しみのこもった目で僕を見た。そして、父親は封を切っていない「お吸い物」の大袋にも手を伸ばすと、「ああこれも食べなかったんだ。買ってこなきゃよかった」と独言した。僕は体がギクリと震えるのをはっきり感じた。父親は「ああ食べなくていい食べなくていい。買ってこなきゃよかったんだ」と繰り返しながら自室へと戻っていった。

 

疲弊。

 

何がどうしてこうなったのか僕にはわからなかった。が、僕の行動が原因のような気もした。僕は前日ちょっとしたことで帰りが遅くなったのだが、僕はそれを父親に連絡しわすれていた。のみならず僕は、朝も寝坊して朝飯を食う余裕すらない状態で家を飛び出してしまっており、父親に挨拶する暇も作れなかった。……僕は家族を蔑ろにしていた。家族の気分が晴れやかでなくなっていたのは、僕のこうした行動のせいかもしれなかった。

 

僕は25歳の一社会人であった。社会生活を送るにあたって、どうしても家族を最優先にできない場面というのは往々にしてあるものだ。そうした制約のある中で、僕は家族を大切にしているつもりだった。しかし僕の「つもり」はどうも、家族に届いていなかったらしかった。

 

僕は会社員として働かねばならない。僕は恋人の恋人として恋人を大事にしなければならない。僕はあらゆる親友や友人や知人を幸せにできるよう尽力しなければならない。僕は家族の一員として柱にも鎹にもならなくてはならない。

ありとあらゆる“顔”を持ちながら、そのすべてに対して誠実に勤勉に振る舞うというのは並みのことではない。必ず何処かに亀裂が生じ、歪みが生まれるものである。僕も僕なりにヒビだらけの仮面を使い分けて生きている。本体の顔がどんな風であったか、もう僕自身にもわからない。といっても僕は自分自身の素顔になんてもはや興味はなく、どちらかといえばこの仮面らのヒビが塞がってくれる方が嬉しい。何となれば、いまの僕にとっちゃ他者の幸せが即ち僕の幸せだからで、そういう意味で僕はいまこの上なく不幸だからだ。