世界のCNPから

くろるろぐ

スマホを落としたらケースに傷がついた、わかりやすい因果関係だ

問題が何処にあるのかわかっていて、その解決策さえ見出せているのに、どうしても片付けることのできない問題、というものがある。僕はこうした問題をひとつずつ箇条書きにしていつも、その大きさに絶望する。

 

ここのところ気付いたことだが、僕は、“やるべきこと”が一定量を超えると自分を見失うらしい。優先順位をつけて、時間を割いてひとつずつ対処していく、という、社会人には必須の技術が、僕にはないようだ。

 

かてて加えて、僕の抱える問題というのは、解決策を見出した上でも結局どうすることもできないという一番タチの悪い性質のものばかりで、いや、僕より優秀かつ怜悧な人間であればどうとでもできようはずのところ、僕には手のつけようがないという種類のものばかりで、僕は問題そのもののもたらす苦痛だけでなく、そうした劣等感、つまり「一般人ならとっくに解決しているだろうに」という焦燥にも傷つけられている。

 

そしてこんなことを言えばどうなるかもわかっていて、それでも僕は喋りつづけてしまう、そういうところが僕は自分でも嫌いでならない。

 

本当に、すべてを終わりにしたいと思う。問題を解決できるだけの才能がない人間は、最も簡単で手っ取り早い方法を選びがちだ。ただし、どうか忘れないでいただきたいことは、僕にとって自分の人生などもはや何らの価値もなく、従って他者が自分の人生に関わってくることについて僕は否定的なのであるということだ。平たく言えば、僕は決して君たちのうちの誰をも殺さないということだ。

 

今の僕は、命を他者に握られすぎている。「僕が死んでも悲しむ人なんていない」とかいう、アンニュイな中学生めいた感傷を抱く自由さえ、僕は奪われている。誰もが幸せになってくれたらいいと思う。そうすれば、僕のような人間がひとり居なくなったところで、誰の生活にも影を落とさないだろうに。

 

朝になれば覚めるだけ、悪夢の方がマシだ。