僕に勝てる奴なんか普通にたくさん居た
「俺の彼女マジ可愛くていい子なんだけど寝ながら屁ぇこくのだけは勘弁してほしいわ」
……みたいなのを聞くのが、好きだ。
まず僕は惚気話とか幸福自慢とかを聞くのが純粋に好きだ。他者が幸せであればあるほど嬉しい。
紳士ぶっているわけではない。ただ幸せに浸っている他者を見守るのが楽しいというだけなのだ、むしろ悪質な態度だといえるやもしれない。
そして、自慢話の陰から顔を覗かせる「別の他者」の姿を見るのも好きだ。
今日はこっちが本題かな。
僕がこの眼で捉えた他者αの姿と、他者βがその眼で捉えた他者αの姿は、似ているようで似ておらず、重なるようで重ならず、同一人物であるという以外に共通点のない二つの姿として立ち現れる。
さらに僕は他者βと意識を同一化させて他者αに触れるわけではなく、他者βの“言葉”を通して他者αに近づくことになるわけだから、つまり他者αの姿を他者βのフィルタ越しに覗くわけだから、当然そこに見える他者αの姿は僕の捉えうる他者αの姿と違っている。他者βの色味を纏っている。
画像加工みたいなものだ。
ちなみにこれ江ノ島。
他者βは他者αとどういう関係なのか、他者βが他者αをどう捉えているか、他者βと他者αとの親密度はいかほどなのか。そういった要素に応じて、他者βが他者αに対してかけるフィルタの色味は変化する。
そして僕自身が他者βの立場に立つことはできないので、僕は他者βの言葉を聞きながら、フィルタをかけられた他者αの姿を思い描くのだ。
ほー、あの子、寝ながら屁ぇこくのか。
きっとその子は僕の前じゃ屁どころか欠伸すらしないだろう。澄ました顔で過ごすだろう。
初めまして、いつもβがお世話になっております。いえいえこちらこそ。
確かに可愛い子だな、礼儀正しいし、身のこなしも綺麗だ。
でも、この子、寝ながら屁ぇこくんだよな。
いいな。
自分では見ることのできない世界を、知ることのできない範囲を、他者のかけたフィルタ越しに眺めるというのも楽しいものだ。自分自身の眼で見て自分のフィルタを自覚する作業も、もちろん楽しいんだけれども。
「色眼鏡」というとよくないイメージで語られやすい。けれど僕は、「なぜこの人はそういう色眼鏡をかけることになったんだろう」「どうしてそういうシコウ(思考/嗜好/志向)になったんだろう」というのを考えて、なるほどねぇってなるのも嫌いじゃない。
なるほどねぇってなるだけだけどね。
ちなみに何故いきなりこんな話をしたかというと、高校時代、僕の知り合いのひとりが恋人氏のお兄さんに僕を紹介した際、まさにこういうフィルタをかけたんだよなというのを唐突に思い出したからだ。
(知人^o^)<「クロルはヤバいっすよ、エロ漫画エロアニメに関してこいつに勝てる奴はそういないっす」
人は世界を認識するとき必ずその眼にフィルタをかける、そして世界に対し何らかの色味をつけてしまう。それは本能的なものであって、どうやっても逃れられないものだ。そも、各個人によって色付けられて初めて各個人にとっての〈世界〉が確立するのだとすれば、世界固有の「本当の色」を求めて必死になっても仕方がなさそうだと思う。それならば僕は、より多くのフィルタ越しに世界を眺めてみたい、より多くの価値観を知りたい、そして自分自身の眼を覆うフィルタに自覚的でありたい。
ちなみに僕に勝てる奴なんか普通にたくさん居たからね。