耳朶に穿孔、自我に閃光
喫煙所の空気は冷たく、苦い。カラーコーンとポールとを使って区切られたその空間は、まるで動物園の檻のような、疫病患者用の待機室のような、隔離の意図を孕んでいる。
君は好きで煙草を吸っているのか、と訊かれたら僕は、まず相手の顔色を見て、答えるべきと思われるほうを答えるだろう。僕は愛煙家であり、嫌煙家でもある。どちらに倒れるかは、いつも目の前にいる他者の判断に委ねている。僕は大抵のことに関して、そうしてきた。
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自分のことを好きなだけ話す Advent Calendar 2022 - Adventar 2022.12.09
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先月のこと、僕は新宿の居酒屋で、九年間ほど親しくさせてもらっている友人を相手に、延々と、ただ未来の話をした。現在至上主義の僕にしては、珍しく弱気なことだった。
いろいろなことが、わからなくなっていた。生を想えば死に焦がれ、死を感じれば生に逃げ戻る、人間の根幹的な本能に、自分が翻弄されているような気がした。
……そう、もっと具体的に言うならば、ずっと望んでいたはずの××という事態が、いざ近づいてみると、恐ろしくてならなかった。
笑ってほしい、なるべく笑ってほしい、と思う。なんて陳腐、なんて低俗、なんてありきたりで、なんてつまらない話だろうと。
僕には、やりたいことがあまりにもたくさんあった。一方、何もしたくないような気もしていた。悪友たちとの悪巫山戯を生涯に渡って続けたかった。一方、なるべく静かな場所で独りになりたかった。全てを手に入れたかったし、何もかもを捨ててしまいたかった。
日々がキリキリと音を立てていて、数秒おきに、僕自身の望みが、願いが、切り替わり続けているようだった。白状すると、僕には何もかもが怖かった。
友人は、この世ならざる美貌を深刻な色に染めて、僕のくだらない話をいつまでも聞いてくれた。僕自身でさえ何を恐れているのかさっぱりわからず、ゆえに語りは右往左往して、まるで要領を得なかったはずだが、友人は辛抱強く頷いてくれていた。そして、人生経験を下敷きにした種々の助言の中で、こんな言葉を僕にくれた。
「あなたはただ、あなたのやりたいようにやるといい。自分がどうしたいかを考えるといい」
自分が、どうしたいか?
そのとき僕は、心臓のあたりに、膨れ上がるような腫れ上がるような、興奮とも焦燥とも恐怖ともつかない、どうしようもないものが発するのを感じた。
自分が、どうしたいか?
僕はどうしたいんだ?
友人と別れてからも、僕はずっと黙考していた。
僕も他者に対して、「やりたいようにやりなよ」と激励しがちだった。事実、他者の「やりたいこと」をどこまでも尊重し受容し敬愛することこそ、僕の「やりたいこと」である……といってもいい節があった。つまり、他者の「やりたいこと」を受け入れつづけることが……
……本当に?
いや、本来の僕はもっと他者批判を生業にしており、常に闘争に飢えて……
……本当に?
微醺を帯びた体に、昼下がりの空気は甘かった。僕は程良くぼんやりとした頭のまま、コンビニでウイスキーの小瓶を購入した。嚥下のたびに、喉がじわじわ焦げていった。と、同時にひとつ、唐突な思いつきを得た。
耳に穴でも空けよう。
薬局で買える器具を、何もわからず買い込んだ。そのまま新宿駅の公衆トイレに籠り、おもちゃの引鉄めいたそれを引いた。
一般的に見れば、こんなものはファッション・アイテムに過ぎない。多くの人がオシャレのために空けているものだし、特殊なことではない。
けれど僕にとっては、体に穴を空けて異物を通しておく、ということが、多少なりとも自然でないことだった。それなりの勇気と、それなりの努力とを必要とする行為だった。だからこそ、そこに物語を見出して、意義を込めて、意味あるものとして扱ってやることで、自分自身に対するひとつの示しになるような気がした。……なるようにしたかった。
ばちん。思ったよりも痛んだ。そのまま、ふたつ、みっつ。これは決意だ。これは覚悟だ。これは、誠意だ。
まったく無傷であった耳に異物が刺さって、僕は妙な気分になった。こんなことに何の意味があるんだろうと、冷静な僕が問い返していた。……それでも、何だか気が引き締まったような気もしていた。決意と覚悟、誠意。僕にとっての異物であり、そして慣らしていくもの。
それから一ヶ月。痛みはじんわりと鈍く、それでもそこに在るものとして、僕を戒めていた。邪魔で仕方ないからこそ、それは僕に、忘れるな、と囁いているようだった。この自戒の方法は、自分にとってさほど悪くないような気がした。
……ちなみに全くの別件だが、味を占めた僕は、つい昨日もうひとつ穴を空けた。僕の博愛主義が、あるいは自己否定が、もしくは被害者面が、……我が悪友たちにどうやら不快感もしくは不安感を与えたらしく、……その反省として、あるいは反駁として、軟骨に穿孔した。こう考えてみると、僕は本当に、彼らを愛しているらしい。
この穴には今のところ、邁進、と名付けている。怠惰、停滞、現状維持感、などと指摘されたことへの、せめてもの返答として。
などと言ってはみたものの、自分がどうしたいか、という問いに対して僕は、まだ何も答えを用意できていない。僕がしたことは今のところ、ただ、耳に穴を空けたことだけだ。何かキマったことをしたいという、それだけの無益な行動だったような気もする。もしかしたら、何もかもが無益なんじゃないか? 有益とは何か? どこを目指せば赦される? どこへ向かえば自分を赦せるのか?
考えなければ、考えつづけなければ意味がない。決意、覚悟、誠意、邁進。ああ。冬の凍てついた空気を受けて冷え切った耳から広がる頭痛が、今日も鋭い光のように、まっすぐ僕を責めている。
Thanks for @Syarlathotep.