ファンタジックな比喩ばかり
700字から1000字ほどの記事を、さっきから書いては消している。何ひとつ、まとまらない。ぼんやりとした不満あるいは不安のようなモノが頭の中に渦巻いていて、何をするにもふわふわしてしまう。
それでも書いてしまうんだけれども。僕は詩人«ポエマー»だから。
某は仕事が忙しくなってきたので、僕の優先度を低めに設定するようになった。連絡の頻度がじわじわ減るのでわかる。僕に構っている余裕がないのだ。逼迫した現状を打破するため、それ以外の物事については後回しにせざるをえない、そういう状況なのだと思われる。
そうして後回しにされた僕は今日もとっととおとなしく寝ることとなる。
とはいっても、僕はそういう関係こそ理想的だと捉えるようになってきた。相手が自分のそばを離れることはない、と知っているからこそ許される態度、横暴なほどの信頼。背中を預け合うような。
「自分の背後の敵は相棒が斬ってくれるから、こっちは自分の眼前の敵だけに専念しよう、大丈夫、うちの相棒は死なないから」、みたいな。
まあ某の場合は僕がいきなり居なくなっても構わないという感覚でそういう態度を取っているだけのような気もするので、僕の理想とは若干ずれてくるかもしれないが。
某はどちらかというと、「自分の周囲の敵は自分で片付けるから、そっちはそっちで巻き込まれない場所まで離れて、そっちの敵と戦っていてくれ」というようなタイプなんじゃないかと思われる。危なっかしいと思って手を出そうとすると、互いに互いの武器で互いを傷つけてしまう。よって僕らは離れた場所で、それぞれの敵と戦う。あらかた片付いたら汗を拭って笑い合う。確かに、これはこれで悪くない。
しかしこれだと戦いは個人戦でしかなくなるので、相棒の存在が希薄になりすぎる。距離がある分、背中越しに相棒の剣戟の響きを聞いたり息遣いを感じたりということができない。相棒が何と戦っていて、今どのくらい斬り伏せたのか、何も分からない。あとで報告される戦果だけが証明になるわけだが、その報告は“過程”の意義を剥奪してしまう。そして最もよくないのは、相棒が怪我を負っていても気付けないという点だ。
ファンタジックな比喩ばかり使ってしまったが、つまり僕が言いたいことは、もっと頼ってもらえたらいいのにってことだ。
某の性格ゆえなのか、はたまた僕に頼り甲斐がないからなのか、ともかく某は単独で物事を片付けようとするし、そういう「片付け」期間になると内に籠もりがちになる。
余計な手出しをして逆に邪魔をするようだといけないので、僕は見守るほかない。しかし、僕の周囲の敵なぞ大したものじゃないのだから、どちらかというと某の助太刀をしたいというのが本音だ。
いやもっと本音を言うなら、単に僕が寂しいってだけの話なんだが。岩陰の向こうで某が苦戦していても、僕はそれを助けることができない、慰めることもできない、話しかけることさえできない、こんな寂しいことがあろうか。
なんて、こんなのは僕の傲慢だ。
「頼ってくれ(構ってくれ)」、というような態度がいかに某の迷惑となるか、僕はさすがにもう学んだ。普段は邪魔にならないよう見守り、時たま休憩しにきたときは全力で鼓舞し慰撫し、常に陰ながら応援する……そのくらいがちょうどいい。
どうせ戦いが終われば岩陰からひょこっと顔を出してくれるだろう、ということくらいは信じないといけないよな、などと思う、今日このごろ、だ。
僕は詩人«ポエマー»だからな。