世界のCNPから

くろるろぐ

快速列車に殺されかけた

空が暗い。虫が鳴いている。風の匂いも秋である。春には春の、夏には夏の楽しみがあったけれども、秋もまた悪くない。

 

快速列車に殺されかけた。

 

列車事故による死は華やかだ。痛みも苦しみも、飛散する血液の量も、影響を受ける人間の数も。鮮やかな赤と錆びた銀。

 

それが自殺である場合、列車による轢死を選択することには多少なりとも自己主張の意思が伴うのではないかと思う。けれど実際のところ、死体は個性のない肉塊となってしまうし、主張したかったはずの自己は消え失せてしまうし、それだけやってもせいぜいテレビやネットのニュースをチラと飾るくらいのことにしかならないわけで(最近は飾られすらしないかもしれない)、切ない話でもある。

 

一方、轢死はああ見えて楽な死に方でもあるかもしれない。骨肉を砕かれる瞬間的な痛みに耐えるだけで済む。遺族が支払う多額の賠償金のことも、足止めを食らう何万人という人々のことも、醜く潰れる自分自身の死体のことも、死んだ当の本人には関係のないことだ。もともと自殺というのは自らのエゴイズムを認め赦した先にある死に方なのではないかと思う、であれば、「死んだあとのことを考えない」というのは別に責められるべきことでもない。

 

などと語りながら、なるほど確かに僕も、ふと気を抜くと引き込まれそうになる。

f:id:CNP:20181023203027j:image

 

一歩踏み出して闇の誘いに乗れば思いのほか柔らかく受け止めてもらえるんじゃないか、そんな気になることもある。

親しみ深い「闇」については、例えば梶井基次郎の「闇の絵巻」でも語られている。

 

梶井基次郎 闇の絵巻 - 青空文庫

闇の絵巻

闇の絵巻

 

まあ、「闇の絵巻」は死そのものを扱った作品ではないかもしれないんだけれども。

完全なる闇というのはむしろ心地のよいものだ。世の中はときに眩しすぎる。こと都会方面に住んでいると、そう思う。人を愛し人に愛されてきたステキに明るい人々に囲まれていると、そう思う。

 

 

さて、そんなことを思いつつ僕は列車の来るのを待っていた。僕もそれなりの都会に住んでいるつもりだが、それでもホームドアを導入していない駅というのは甚だ多い。予算の都合もあろう。深夜まで利用者のいる駅をどう工事するかという問題もあろう。一筋縄ではいかないものである。僕の利用している駅もそういう悲しい駅だった。

 

ホームの端へ近づいたつもりはなかった、いつも通り黄色い線の内側にいたはずであった。けれども風は思いのほか強かった。

不協和音とともに一陣の疾風が僕を後ろから殴った。情けない声が出た。高速で走りぬけてゆく列車に体が引き込まれようとするのを感じた。僕はどこか本能的に息を詰めて体勢を整えた。一瞬のことだった。

 

まぁ、なんのことはない、別に殺されはしなかった。

 

僕は駆けていく列車を後ろから眺めた。死の風はまだ吹いていた。いい風だった。快く速い風だった。快速列車は僕を乗せてくれないまま、脇目も振らずに次の駅を目指していった。僕はホームに取り残された。

続いてやってきた普通列車に乗り込んで、僕はおとなしく自宅へ向かった。

 

普通列車は始発から終電までの間であれば各駅に停車してくれる。大抵の駅から乗れるし、大抵の駅で降りることができる。そういう手段で移動したほうがいい場合もある。快速列車は運が良くないと乗り込めないタイプの列車であり、いざ降りようというときに止まってくれないタイプの列車であり、間違えたものに乗ってしまうと引き返すのに手間がかかるタイプの列車であり、通過するときに人間を巻き込んで殺しうるタイプの列車であるから。

普通列車の終電さえも逃してしまったときは粛々と歩けばいい。どこかしらで翌朝の始発電車に乗ることができる。敢えて電車を降りて歩いてみたっていいと思う。闇というのはむしろ心地のよいものだ。世の中はときに眩しすぎる。列車はときに速すぎる。

 

ふと気を抜くと記事がポエムになる。

f:id:CNP:20181024190309j:image

秋だからね。

月並み

昨夜は急な電話に応えて、おもちゃみたいな酒を飲み、やけにしょっぱい肴をつまんだ。それからいろんな話をした。

 

いろんな話をしてもいい、というのはひとつの救いである。僕は誰かにとってのそういう救いになりたいと思う。といっても、僕はいつも誰かに救われるばかりで、誰かを救ったことなどない。

僕は偉そうなことばかり書いているけれども、これぞという言葉を咄嗟にかけることができない。頭の中で絡み合った言葉を、ぐちゃぐちゃのまま紡いでは相手を混乱させることも多い。喋っているうちに訳が分からなくなり、言いたいことと違ったことを間違って口にすることすらある。

 

僕が電話よりもメールを、口頭よりも手紙を好むのにはそういう理由もある。言葉を一度しっかり解きほぐして噛み合わせてからじゃないと、まず何をも伝えることができないのだ。

とはいえ、文字に書き起こしたからといって、それが誰かを救えるかどうかはまた別だ。自分の真意・本心・胸中を、確実に表せるかどうかはまた別だ。「言葉」そのものが曖昧なものだから、口頭だろうが文字だろうが、結局は曖昧なところまでしか示せないように思われる。そしてその曖昧さは、誰かを救うよりもむしろ傷つけているような気さえする。

 

僕は誰かを救えるんだろうか。

おこがましい願いなのだろうな、と僕自身、気づいてもいる。救いというのは様々な要素の組み合わせによって得られるものなんだろう、だから僕はその要素の一部になれればいい、と思いつつ、その「一部」になることだって実は、とても難しいことなのだ。

 

明けて、朝である。この時間になると街は通勤通学の人々で溢れかえる。満員の電車内でもみくちゃにされていると、自分がいかにちっぽけな存在であるかに気づかされる……なんて、ハルヒみたいなことを考える。月並みの言葉、月並みの懊悩、月並みの人生、まずは自分を確立しないと他者を救うこともできないんだろうなと、月並みなことを考える。

僕にはこういうところがある

父の荒れている声を久々に聞いた。

 

 

静かな秋の夜、誰もいない部屋の中で、父は「うるさい」と叫んでいた。枕を殴るような、重い音がした。続く言葉はよく聞き取れなかった。首を絞められながら、それを払いのけようとするような声だった。

 

 

父は二十年以上前からいわゆる「癇癪持ち」だった。非力な僕からすると、大男が大音声を張り上げ、物を投げ、足を踏みならし、最悪の場合には暴力を振るう、という様子はまさに“恐怖”そのものだった。

しかし、落ち着いているときの父は面白いひとなのだった。父は雑学的な知識量が多く、点と点とを繋ぐような話をするのも上手いので、議論めいた議論を戦わすにはいい相手だった。

 

中高生の頃の僕は、学校から帰ってきて食卓へ向かう前に必ず家の中の空気を肌で探っていた。ピリッとしたら、要注意。弛緩していたら、楽しく過ごせる日だ。

しかし母は空気を読まず相手を苛立たせるような皮肉や嫌味を言っては「わざと言っているのよ、嫌がらせなのよ」と主張していたし (その「嫌がらせ」の起こす台風が家中を巻き込んでしまうというのに) 、妹は父親を見限って完全に無視するようになったし (単純な挨拶さえわざと無視するという技を覚えてしまっていた) 、僕だけが家の空気を察知したところで、あまり意味はなかった。そうして最終的に、父と多少なりともまともに接していたのは僕だけとなった。

何しろ僕は落ち着いているときの父の明るさも優しさも料理の巧さも知っていた。キレやすい人間なんて大嫌いだ、といって完全に突き放してしまえるほどあっさりした気持ちになれなかったのだった。なんというか、僕にはこういうところがある。

 

僕は幼い頃から荒れ狂う父の姿を見て生きてきた。ちょっとしたことでも理屈に合わない、理論で説明できない何かが起こると父は耐えられないようだった。どうしてわからないんだ、と父はよく叫んだものだった。簡単なことなのに、と。そこから怒りに火がついて、父はどんどん燃えてしまうのだった。母は典型的な感情型の人間だったから、父のそういう理屈っぽいところが大嫌いだった。うるさいんだもん、というような一言で、母はよく父を逆上させていた。

 

一方、僕は荒れ狂ったあとの父がどれほど苦しそうな顔をしているかも見てきた。荒れては反省し後悔して苦しみ、また荒れる……その地獄めいた輪廻は僕の身にも覚えのあることだった。

僕は父を救いたかった。それは父のためでもあったし、家族のためでも、僕自身のためでもあった。が、僕には救えなかった。何度か落ち着いている状態の父とゆっくり話そうとしたこともあったのだけれど、父は自分の荒れ狂う姿を思い出したくなかったのか、真面目な話をするのが苦手だったのか、はたまた僕のことをあまり好いていなかったのか、ことごとく失敗した。心療内科や精神科も勧めたが、「何でも病気にしようとする」と笑われて終わった。笑い事じゃなかったのに。

 

両親が別居を決め、妹が迷うことなく母を選び、僕というゴミだけが手元に残されたとき、父はどんな気持ちだったんだろう、と思う。引っ越してしばらくの父は本当にいつ壊れてもおかしくない状態だったから。

僕は本当に無力で無能だった。父の癇癪さえ抑えられたならこんなことにはならなかったはずで、癇癪を抑えるための方法はどこかにあったはずで、僕はもっと手助けできたはずで、怒鳴られることに怯えて楽な道へ逃げた僕のせいで家族が上手くいかなくなってしまったんだと思うと怖かった。

それに加えて、僕はよく家族が機嫌を損ねる原因にもなっていた。庇ってやったはずの妹が僕の文句を言っていたり、加勢してやったはずの母が僕の陰口を言っていたり、つまり僕は独善的な態度で生活することで家族仲を引き裂く要因となっていただけだったのかもしれなかった。

 

そもそも僕は家族の一員だったのか?

 

 

……親のことが嫌いだ、とはっきり言うことができたら、僕はきっと楽なんだろう。しかし結局のところ僕は、家族をしっかり嫌いになれていなかった。ここをはっきりさせてしまえば、今すぐ家を出ていき二度と会わないことで互いの精神衛生を保つこともできるはずなのに。

あれだけ怒鳴られ、殴られ蹴られ、それでも僕は父を根本的に憎んでなどいなかった。あれだけ嫌味を言われ、大事なものを捨てられ、それでも僕は母と飯くらいなら食いにいってもいいかなと思ってしまっていた。あれだけ冷淡に育ち、すっかり距離を置くようになり、それでも僕は妹に頼まれれば課題の手伝いやパソコンのセッティングに協力していた。

 

僕は「心の奥底から他人を憎悪する」ということをやったことがないし、できないようなのだった。

もちろん怒鳴られるのも物を勝手に捨てられるのも冷淡な皮肉を言われるのも好きじゃないし、苛立つし、不快な気持ちになる。けれども、なんというかそれはその相手の“言動”に対する苛立ちであって、“人間そのもの”に対する憎しみではないみたいだ。相手の人間そのものを嫌ってしまえば、その相手の言動やら容姿やらを嫌悪し距離を置くことで平静を保てるんじゃないかと思うが、僕は中途半端に「でもいいところもあるんだよな」と置いてしまうせいで、中途半端に赦しつつ中途半端に赦しそこねるのだと思う。

やめるなら、僕は他人をもっと恨むべきだし、つづけるなら、僕は他人をもっともっと赦せるようにならなくてはならない。半端だから痛いのだ。父の大声を聞いてじくじくと心を痛めるようでは甘い。

 

静かな秋の夜、誰もいない部屋の中で、父は「うるさい」と叫んでいた。過去の声に苛まれてでもいるかのようだった。枕を殴るような、重い音がした。何を殴っているつもりなのだろう、力のこもった打撃は自傷的でさえあった。続く言葉はよく聞き取れなかった。許しを乞うような言葉に聞こえた。首を絞められながら、それを払いのけようとするような声だった。父も苦しいのだ、と思った。

酒を飲みながら

酒を飲みながら思った、こんな時間が永遠に続けばいいと、世の中の全ての人が幸せを味わえればいいと。僕自身の手によって救える人というのは限られているかもしれないが、できるだけ多くの人を救い、多くの人に幸せになってもらいたいと思った。2018年の秋である、そろそろ紅葉を楽しめてもいい頃である。渋谷の雑踏の中には紅葉なんてなくて、強いて言うならお洒落な若者たちの服が秋めいてきたことを感じるくらいだろうか。ワインレッドとオレンジと黒、チェック柄、生足よりカラータイツ。秋は確実に近づいてきている。

 

酔っ払った目で見ると街灯は四方八方に光の筋を飛ばしてとても綺麗だ。人工の星なんて、と邪険に扱うのはもったいない、何しろ人工物だって星は星なのだ。輝きさえすればいい。アップルストアは紫、タワレコは黄色、東急は赤文字を光らせている。このままどこか遠くへ行きたい、どこへ? いつかロケットや小惑星探査機が個人でも買えるくらいの値段になるといいなと思う。そうすれば僕の求める「遠く」はもっと手の届くところまで降りてくるだろう。絶頂間近の女の子の子宮が降りてくるみたいに。震えるような星空。紫と黄色と赤とが目の前に迫ってきて僕を誘うのだ。

 

ワインレッドとオレンジ、酒のことしか思いつかない、基本的にカクテルは色とりどりだ。でも僕らは今日、日本酒を飲んで笑った。透明という名のカラフル。オレンジとワインレッド。街灯の光が目に刺さって痛い。明日は月曜だから早く帰って寝たほうがいいのに、渋谷の人間はこの時間になっても寝たくないようだった。まるで愚図る子どものようで、子どものようで。僕だって子どものはずなんだけれど。

 

僕は渋谷の若者くらい何も考えずに快楽に溺れたいと思っていた、けれど、渋谷の若者だって何も考えていないわけじゃないんだろうなと思うようになった。何も考えずに生きていられる人というのはいないはずなんだ。みんな何かしら抱え、何かしらと折り合いをつけて生きている。僕も何かしらと折り合いをつけて笑っていたいと思った。折り合いじゃなくてケリをつけるべきなんじゃねーかな。

 

2018年の秋である、そろそろ紅葉を楽しめてもいい頃である。酒を飲みながら思った、こんな時間が永遠に続けばいいと、こんな時間は今しかないんだろうと、僕はきっといつまでもきちんと幸せにはなれないんだろうと。

このままじゃ、なのか、どうやっても、なのか、というところは正直、酔った頭じゃ分からなかった。

橘さんは永遠に抜ける

人生で一度くらい、永遠に抜ける作品ってやつに出会っておいた方がいい。

 

僕にもいくつかそういう作品がある。それはかつて読んだネット小説だったり、コミケでたまたま見つけた漫画だったり、昔観たアニメだったり、そういうやつだ。

 

「橘さん」というのもそういう作品のうちのひとつである。とあるフォロワー氏にお勧めしていただいた。本当はリンクを張って紹介すべきなのだと思うが、あまりに名作なので迂闊にブログなんぞへ書きたくない。どうしても興味のある方は僕のツイッターにお声をお掛けいただきたい。きちんと原典のURLをご提供する。

 

「橘さん」もそうだが、アダルトコンテンツというのは素晴らしいものだ。現実世界の誰をも傷つけることなく、虚構世界の中で己の欲望を好きなだけブチまけることができる。僕にとってアダルトコンテンツは昔から逃げ場だった。つらいときに薄暗い部屋でえっちな作品に触れていると、なんとなくすべてを許せるようになるのだった。

 

ところで、僕はアダルトコンテンツを愉しむ際、「すべての登場人物に自己投影している」あるいは「誰にも自己投影していない」、そのどちらかでやっていっているらしい。

例えば、異性愛者かつ性自認的に男性、というタイプの男性が異性愛AVを見るときは、おそらく「竿役の男」に自己投影するんじゃないかと思う(もちろん女の方に自分を寄せる場合もあるだろうが)。NTRを好む人なら「恋人を寝取られる側」に自己投影するだろうし、虚構世界において痴漢される自分を夢想したい人なら「痴漢被害者」に自己投影するだろう。同性愛者でも、まずは「タチ」か「ネコ」かで作品への姿勢が変わってくるだろう。

つまり、どういう趣向のどういう状況のどういう作品についても、自己を作中の誰かへ投影し、作中の誰かの視点で愉しむ、というのがわりかし普通なんじゃないかと思う。しかもその「誰か」というのは、自分が享受したい快楽を作中において享受している「誰か」である場合が多いんじゃないだろうか。

 

しかし僕はどうもそうじゃない。作中人物を画面越しに、あくまで傍観者・観劇者として愉しんでいるようだ。といっても斜に構えているつもりはなくて、ただ「自分が作中人物になる」という感覚を持たないまま、作中の興奮を浴び、作中の絶頂を受け取り、作中の顔射に喝采を送っている、という感じである(?)

 

思うに、僕は他者のセックスを好みすぎているのだ。

他者が己の欲望をいかに表現するのか、他者同士が互いの欲望同士をいかに絡めあい探りあうのか、なぜ人類は一度たりとも性的なるものを文化や文明から排除できたことがないのか、なぜ人間はセックスをしつづけるのか……なんちゃって……

「性欲」は、それを持つ人々にとっても、溢れさす人々にとっても、持たない人々にとっても、どうしても無視できないものとして在るように思う。何をどうしたって、やっぱり奥深い。考えれば考えるほど、どこまでも飛んでいける。

だから僕は他者のセックスが好きだ。自分がどうこうするとかではなく、ただセックスというものが好きだ。

 

という視点でやっているせいで、特定の「誰か」に自己を仮託しながらアダルトコンテンツを愉しむ、ということにならないんだろうと思う。セックスという概念そのものを愉しみたいという態度なのだ。

そしてそんな視点でやっているせいで、特定のジャンルにもこだわらないし、特定の地雷を持ってもいない。あらゆる「性欲」のありようを好いているからだ。

そしてそういう視点でやっている僕個人の感想を言わせていただくと、橘さんは永遠に抜ける。