世界のCNPから

くろるろぐ

確かに一週間ほど溜め込んだ後の方がいっぱい出るし快感も強いのだが

毎日記事を書きたいんだ本当に。

 

 

さて。

ある人が「性欲」と「性別」とに関する興味深い記事を書いていたから、僕も便乗しようと思う。といっても僕も専門家ではないので、大したことは書けないだろう。あらかじめ断っておく。

内容は薄いのに7000字を超えてしまったのでゆっくりお楽しみいただきたい(反省)

 

ところで、皆様は「精子戦争」という本をお読みになったことがあるだろうか。

精子戦争---性行動の謎を解く (河出文庫)

精子戦争---性行動の謎を解く (河出文庫)

 

射精された精液に含まれる精子の数は変化する。それは前回のセックスとの間隔や相手と一緒にいた時間に関係する―この驚くべき著者の理論は、全世界の生物学者を驚かせた。私たちの日常の性行動を解釈し直し、性に対する既成の概念を革命的に変える、まったく新しい観点から生み出された衝撃作。

 

(参考: 精子戦争: 性行動の謎を解く - ロビンベイカー - Google ブックス )

 

表紙だけを見て咄嗟に購入してしまった本なのだが、想像以上の大当たりだった。

精子戦争」は、長年「性欲」について研究してきた生物学者ロビン・ベイカー氏によって著された一冊である。

その中身は、彼の積み上げてきた研究内容を[ごく短い小説→その場面に隠れている重要な性欲的要素の説明]というひとまとまりにして順々に解説していく、という構成となっている。専門的であるはずなのに読みやすい。

そして、この本はまさに「性欲」やら「性別」やらの話題を解説してくれているのである。だから今回この記事を書くにあたって、この本を役立てたいと思う。

 

……ただし、一応ひとことだけ。「精子戦争」は初版が2009年、つまり10年前だ。こと科学分野において、10年の開きというのは大きいものだと思う。ベイカー氏による主張の数々は、生物学界においてとっくに古い論となっているかもしれない。

また軽く調べたところ、(一般読者の感想文は見つけられたものの、)専門家や生物学者の感想文は見つからなかった。つまりこの本の信憑性を担保してくれそうな他の学者たちの声というのが、インターネッツでササッと見つかるようなところにはなさそうなのである。

筆者本人も以下のようなことを書いている。

私の解釈について、同僚の学者たちみんなが同意見であるというわけではない。(中略)しかし私としては最新の研究による純粋に学問的な解釈に基づいて語ったつもりである。

 

以上を踏まえ、「まぁ真実とは限らないかもね〜」くらいの気持ちで読んでおかないとマズイことになるかもしれない、ということだけは言っておきたい。免責事項ってやつである。

といっても、中身の面白さに変わりはない。たとえ細かい点が科学的事実と違っていたとしても、僕らは専門家でも学者でもないので、もっと大枠で捉えて、「そういう見方で見ると面白い」くらいの態度を取っても構わないのだ。ドヤァ。

 

そんなわけで、すべての内容をお話ししてしまいたいほど面白い本である。しかしそんなことをすると怒られること間違いなしなので、今回は「性欲」とか「性別」とかの話だけに絞って少しだけ紹介したい。

 

とりあえず「男性」のオナニーについて引用する。おあつらえ向きに「マスターベーションの役割」という章があるのだよ……

 

マスターベーションの経験は九八%以上の男性にある。さらに、実際、それは誰でも二十歳までに経験する。しかし、これほど広く行われている行為であるにもかかわらず、精子を射出する習慣は子孫繁栄の面で重要な武器になると考える男性はほとんどいない。しかし、これはまさにそうなのである。(中略)

 

マスターベーションは、実際は非常に複雑な行動で、頻繁に射精する男性、あるいは射精する可能性のある男性が、次の射精を調節する方法なのである。どんな状況になるかを予測して、男性はマスターベーションを使って、相手の女性の中に射精する精子の数といつ精子をつくるかを調節することができる。(中略)

 

男性の体は、マスターベーションとセックスの違いを区別できるのだ。両方の射精精液の中身は同じではない。セックスで射精する精子の数はさまざまな状況によって変わる。(中略)しかし、男性の年齢を別にすると、マスターベーションで射出される数に影響する唯一の要因は、最後にした射精からどのくらいたったかという時間の経過である。(中略)

 

セックスと次のセックスの間にマスターベーションをすると、しなかった場合より次のセックスの射精で出る精子は少ない。しかし、射精された精子は、若くて、動きが活発で、邪魔をする年老いた精子も少ない。(中略)

 

男性はいつでも若々しい精子軍団を持ち、絶えず準備のできている状態にしておかなくてはならない。セックスや精子戦争がすぐに起こるかもしれないからである。

 

す、すげぇ!

つまり、オナニーは完璧な精子を完璧なタイミングで射出するための準備運動だったというわけなのだ。「ティッシュへの無駄撃ち」と嘲笑されがちだが、実は無駄なんかじゃなかったのである。

「相手がいない」とかいうのは今回あまり関係ない。体が、脳が、「いつでも理想的な射精に備えるために動いている」ということ自体がめちゃくちゃ面白いと思った。

そしてここで気づかされる……「一週間溜め込んだ濃厚こってりザーメンを受け取れ! 孕め!」という表現について……確かに一週間ほど溜め込んだ後の方がいっぱい出るし快感も強いのだが……生物学的にみるとむしろシコってから24時間以内の新鮮なザーメンの方が孕ませやすいのだということに……

 

 

次に「女性」側の話。こっちはちょっと複雑なので体の構造の話あたりから引用しておきたい。

 

子宮は西洋梨を逆さにした形をしていて膣の上のほうに位置しているのだが、多分あなたの指先は届かないだろう。西洋梨の細くなった部分が頸部と呼ばれるところで、ここが膣の天井に突き抜けているところであり、二センチほど膣の中へ突き出している。(中略)頸部には細い管があって、この管が膣と子宮の内部をつないでいる。精子はここを通らないと子宮の中へ入っていけない。(中略)

 

頸管の中は空ではない。粘液が詰まっていて、指をしばらく中に入れておくと、少しだが頸管粘液は指に落ちてくる。

 

この「頸管粘液」というのを説明しておかないと以降の話がしにくいんだよな。そんでオナニーの効果が以下。

 

一つには、マスターベーションは、(中略)一時的に頸管から膣への頸管粘液の流れを増やす。(中略) この頸管粘液の流れが膣のヒダに粘膜を付着させて潤いを増し、次の性交の準備をする(中略)。さらに、絞り出されるのは最も古い部分の粘液なので、一緒に古い(中略)精子や病原体などを含む頸管数を多く運び出す。これは感染を避ける効果的な方法である。(中略)

 

二つ目に、マスターベーションは頸管粘液の酸性度を高める。(中略) 精子バクテリアも、酸性の頸管粘液の中では正常に働かない。そのため、マスターベーションの後しばらくは、おそらく何日も、精子は頸管粘液の編み目を通って泳ぐ力が弱まり、病原体は侵略や増殖がしにくくなる。

 

三つ目に、マスターベーションは頸管のフィルターの強さを変える。たいていの場合、強くする。これは今述べたように酸性度が強くなるためばかりではなく、オーガズムが引き金になって頸管の窪みの貯蔵庫に溜まっている前回の射精からの精子を半分ほど追い出すようにするためである。これがフィルターを強化するのだ。(中略)

 

女性は妊娠しやすい時期のほうが妊娠しにくい時期より頻繁にマスターベーションしたくなる傾向がある(中略)。その意味がここでわかるだろう。この時期こそまさに、女性が性交のために膣の潤滑油と頸管のフィルターを準備することで最も利益を得る時期なのだ。

 

女性のマスターベーションにもこれだけ意義があるということだ。

しかしこうして頸管粘液の動きを知ってみると、「精子の泳ぐ力を弱める」とか「精子を追い出す」とか、どうも精子に対して冷淡なように思える。

それもそのはず……実は男性の体と女性の体とで、セックスにおける最大の目的が違っているのである! というのが生物学者・ベイカー氏の論である。

 

生物学的観点から見たセックスおよびオナニーというのは以下のような感じらしい。

 

男性(の肉体)の目的は、女性(の肉体)に自分の子どもを産ませることだ。

男性は基本的に自ら子どもを産めないので、自分の子孫を残すためには女性を孕ませなければならない。だから機会があればすぐに女性を妊娠させることができるよう、「絶えず準備のできている状態」にしておこうとする。

よって、男性のマスターベーションの意義は「理想的な精子を保つこと」になる。

 

一方、女性(の肉体)の目的は、よりよい男性(の肉体)の精子を得て自分の子孫を強いものにすることだ。

ひとりの女性が産むことのできる子どもの数はそう多くない。なので女性が弱い精子をポンポコ受け入れていると結果的に自分の子孫を弱めることになってしまう。だから女性の方はよりよい精子を手に入れ、より悪い精子を追い払うことを目的とする。また、ここぞというときに感染症にかかっているとまずいので、消毒の意味で粘液を分泌することもあるらしい。

まとめると、女性のマスターベーションの意義は「この人ぞという相手の精子が一番いい状態で入ってこられるように調整すること」になる。

 

つまりオナニーについては、性欲の強弱の問題であるというより、調整の間隔の問題である可能性が高いんじゃないだろうか。まあ、セックスに向けて肉体の調整をするためにオナニーをするのだという捉え方をするなら、一切セックスする予定のない人間にとってオナニーはそんなに必要でもないわけで、……とか言えないこともないかもしれないけど。

 

少なくとも、いずれにせよ性別問わず悪いものであるはずはない。腹が減れば腹が鳴るように、眠くなれば欠伸が出るように、ごく自然な肉体の働きでしかないということがわかると思う。

 

いかかだろう。ヒトのオナニーにはこんな意味がある、……かもしれない、と思ったら、ちょっとワクワクしないだろうか。

もちろん最初に述べておいたように、これらが科学的事実であると断言するのは危険かもしれない。けれども……けれども、「そういう見方で見ると面白い」くらいの態度で、視野を広げるくらいのことはしてもいいと思う。

 

……男だから〜女だから〜というような論が、僕は苦手だ。あらゆる人間がことごとく自分の生きたいように生きていければいいと切に願う。そのためにも、思い込みでモノを言うのではなくて、少しずつでも肉体のことや精神のことや倫理観やら価値観やらについて相互理解できるようにしていきたいと思っている。

僕がセックスの話を好むのにはそんな理由もあるのだ。多種多様な価値観の寄せ集め、という点において他に類を見ない分野だからね。

 

 

……

 

ここからは僕の妄想だが、……

ヒトの性欲というものは、大元を辿れば生殖本能からきたものだと思う。ヒトも動物であり、子孫を残さないと絶滅してしまうから、遺伝子レベルで生殖本能が備わった、それが性欲として顕われた、というようなことだったんじゃないかと思う。

 

たとえば僕はかつて、「もしセックスが誰にとってもめちゃくちゃ痛いものだったら、「子どもを作りたい場合だけ頑張ってセックスする」という文化になって、強姦だの不倫だのといった問題を起こすこともなくなるはずだったんじゃないか?」というようなことを考えたことがある。

けれど、恐らく本当にそうなったら、人類は一瞬で滅亡するのだ。セックスが気持ちいいもので、やりたくなるものだからこそ、ヒトはセックスをする……その結果として子孫を残すことができる、絶滅を避けることができる……そのための性欲であったのだと思う。

 

精子戦争」の中にもこんな一節がある。

基本的には、体がある特定の行為へと向けられると、その行為を遂行しようとする衝動が起こる。その衝動が満たされたときに生まれる感覚が、喜びである。

生殖という「特定の行為」を「遂行しようとする衝動」が「性欲」であり、「その衝動が満たされたときに生まれる感覚」が「快楽」、だったということなんだろうと思う。

 

でも世の中には、「子どもは欲しくないけどセックスは好き」という人や、「性欲を感じない」という人、果ては「セックスに対して嫌悪を感じる」というような人もいる。

「性欲」の感じ方は人によって様々で、多種多様・十人十色・千差万別、どんな言葉を使っても言い足りない。しかしヒトが一律に生殖本能を持っているなら、みな一律に子孫繁栄のための性欲を感じるはずではないのか? 一体どういうことか?

 

……僕は、これこそが“人間”らしさだと思う。他の動物と一線を画した存在たる“人間”らしさだと。

 

少し話は逸れるけれど、僕はコンドームの発明を人類史における超重要事項として捉えている。「避妊」という発想、それは生殖本能と「性欲」とを遠ざける大発想である。生殖という動物的義務から離れて快楽だけを享受する。性行為を人間関係の構築や愛情表現の手段に使う。文化的な生き物である人間だからこそ、こういう発想をカタチにしてきたわけなのだ。

 

で、「子どもは欲しくないけどセックスは好き」という人は、そうした「快楽だけを享受する」という人間文化の極致を愉しむ人なのだと思う。様々な芸術や文明が、この「快楽だけを享受する」ことに特化した「性欲」によって育まれてきた。僕が愛するのもこの、人間を人間たらしめる「性欲」なのだ。

 

すなわち、生殖という義務から遠ざかったがゆえに、「性欲」はより自由な形を取れるようになったのではないだろうか。

もちろん、性欲を感じるタイミングが本能的にベストなタイミングと重なっているだとか、そういう部分における性欲と生殖本能とのつながりは消えちゃいないのだろうが。

 

同性愛は非生産的? 莫迦め。かつて男女の性愛にこだわらなければならなかったのは、生殖との切り離しができていなかったからだ。性欲だけを、快楽だけを味わえるようになった今、いつまでも古めかしい性愛の在り方にばかり固執している方が非生産的だと思うけどな。とかね。

 

といったわけで、子どもを作ることにこだわらなくて済む、というのはひとつの“人間”らしさなのだと思うのである。子どもを作りたくない理由も作りたい理由も、セックスをする理由もしない理由も、生殖本能とは関係のない人間的価値観の中で各個人が考え抜いて出したそれぞれの理由なわけで、そういうところに“人間”を感じるのだ。

 

それを押し広げて考えてみれば、「性欲を感じない」人だって当然いるということに思い至るはずだ。「性欲の満足によって得られる快楽に興味があるかないか」、という話なのだ。

「タバコ欲の満足によって得られる快楽」、「ラーメン欲の満足によって得られる快楽」、「ねこ欲の満足によって得られる快楽」、これらはそれぞれ別物であるが、同様に「性欲の満足によって得られる快楽」というものがあって、それを満足させることが好きだという人もいれば、そうでもない人もいる、というだけのことだ。

「性欲」は、本能と離れて自由になったことで、その程度のものになった。だから「強く感じる人」や「まったく感じない人」を異常視することもまた非生産的で古典的なのだ。……と僕は思う。

 

一方、「セックスに対して嫌悪を感じる」という人も、先に挙げたタイプとは逆の意味で人間文化の中を生きる人間なのだと思う。「(自分の思い描く)文化的で理性的な“人間”」として生きていきたいがゆえに、動物的生殖本能と結びつきうる性欲のおどろおどろしさに恐怖するのではないか。そう、「性欲」は生殖本能から遠ざけられたとはいえ、完全に断絶されたわけではない。どうしたって動物性を孕むし、ときに獰猛である。そういうところを嫌悪する気持ちがあるのかもしれない。

あるいは、「「性欲」が「人間関係の構築」や「愛情表現の手段」に使ってしまえるようになった」という点そのものが苦手なのかもしれない。それは利点でもあり難点でもあるからだ。

僕はそういうおどろおどろしさやドロドロしさを愛好しているわけだが、もちろん怖いと感じる人もいるはずだ。だから少なくとも、怖がっている人々の気持ちを蔑ろにしないようにはしたい。

 

まとまりがなくなってきたけれど、とにかく僕は「性欲」というやつが好きで、好きで好きでやってきたので、「性欲」にまつわる話題にはどうしても食いついてしまうのだ、ということだ。「精子戦争」の筆者もきっとそういうところがあったんだろう、と勝手に仲間意識を抱いてしまう。

 

というか、

 

合計約百組のボランティアのカップルから、約千個の射精された精液を収集したのである。男性にはコンドームを渡してセックスやマスターベーションで出た精液を採取してもらい、女性には射精の後に膣から流れ出たフローバック(逆流)を大変な努力を強いてビーカーに集めてもらった。

 

こんなことまでしてしまうような学者を、この僕が尊敬しないわけがない。

 

 

精子戦争---性行動の謎を解く (河出文庫)

精子戦争---性行動の謎を解く (河出文庫)

 

 

 

今週末の過ごし方

今週末は某が実家へ帰るというので、僕は尻尾を垂れて自分のことをすることにした。

まあ土曜に関してはスマホを追い回しているうちに終わったんだけれども……

cnp.hatenablog.com

日曜を無駄にしてはなるまいと、とにかく色々やっといた。

 

1.免許

 

免許を更新しておいた。

取得したのが平成28年2月15日。あれから3年近く経ったのかと思うと嬉しいような気も怖いような気もする。その3年の間に、僕は相棒MT-03を駆って熊本へも大阪へも行ったのだ。僕の運転はまだまだ下手くそで、昼間の峠を20km/hくらいで走って原付に邪魔がられているけれど、少しずつ上手くなっていきたい。

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更新手続きの話に戻ろう。

 

まず運転免許試験場(※初回の人は試験場まで行かなくてはならない)へ入るといきなり「免許更新はこちら!!!」みたいな看板があった。これならさすがに迷いようがない。

更新お知らせのハガキと現免許証を受付に渡すと、現免許証が印刷された受付書類をもらえた(一瞬で印刷されたらしい)。

その書類に必要事項を記入して、別の窓口に提出。

「お次は視力検査ですので2番の窓口へどうぞ」、3つくらいのCマークの向きを答えた。

で、そのまま写真撮影(寝癖を直す暇は与えられなかった)。

ここまでで書類的な部分は終了である。

 

そのまま講習の教室へ向かって、2時間の講習を聞いた。講習のあとに待合室的なところで新免許証を交付され、すべての手続きが終わった。

 

初回講習だったせいもあって地味に時間がかかった。午前から昼過ぎって感じ。けれども、なかなか参考になる話ばかりだったので寝ないで聞こうな(僕の周囲では壮年の方でもスヤスヤしていて悲しかった)。

講習自体は、一般講習なら1時間・優良講習なら30分で済むようになるそう。優良運転者を目指して頑張っていこう。

 

 

2.服

実は酔って転んだ(小声)

酔っていたので痛みはなかった。怪我もなかった。けれど家に帰って翌朝よく見たら、ズボンの膝のところが擦り切れていた。フゥー。こういう酔い方もたまにはしたい。なぜなら僕はまだ若いから。

とりあえず明日から着ていく服がマジでなかったので多少ごまかせそうな服を買ってきた。ユニクロは優しい。

 

 

3.リコール

MT-03が毎度おなじみリコール対象になっていた。

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もう3回目ですよ! しょうがねぇなぁ(でも好き)。

とりあえず年内に〜と思ったので出してきた。ついでにヘッドライトの交換と、ブレーキパッドの確認をしてもらった。

 

……しかし、本当はバイク屋へ出す前に自分でヘッドライトの交換をしてみたかった。某フォロワー氏にオススメいただいていたこともあって、ちゃんと挑戦してみた、のだが……

……ここからは反省の意味も込めてその格闘の痕跡を残しておきたい。

 

まずこれがつかなくなったヘッドライト。ポジションランプ(目みたいな部分)がバッチリ光っているので、その下のヘッドライトが暗いのが目立つ。

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まず、この赤丸の二箇所を外した(ボルトを外す前の写真を撮り忘れたらしいので全く関係ないときの写真である)。

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4mmの六角レンチで開いたはず。
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開けたらこんな感じでかっこよかった。
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で、参考にしたみんカラによれば

メーター下のボルト3個外します

(参考: MT3/MT25ヘッドライトの外し方 | ヤマハ MT-03 by 酢味噌 - みんカラ )

とのことだったので外そうとし……たが……

 


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手持ちのレンチのサイズが合わなかった。

 

うん……。

 

とはいえそんなところで諦めたくなかった僕は、例の泥酔の日にドンキで小さいレンチとかモンキーレンチとかを購入し、ちゃんとサイズも合うようにした上で(ちゃんと酔いが覚めてから)再挑戦した。

 

そうしたら……

 

ボルトなめちゃいました……

 

ごめん……

 

つまり、無理に回そうとしたボルトの角がメキャっと欠けてしまい、もはや僕の腕前ではどうしようもなくなったので終了。仕方ないのでプロに任せた。

自力でいじろうとしたことについては黙っておいたけれど、たぶんバイク屋のおっちゃんも気付いたことだろうと思う。だいぶ恥ずかしくてつらい。

いやその、次の機会には上手くやりたいと思う。もうレンチはバッチリだから……。

 

以上が僕の今週末の過ごし方、である。

 

やたら動いたな、と思った。理由はわかっていた。僕はじっとしているのが怖いのだった。急に嫌なことを思い出してブワッと苦しむのを避けるために、逃げるように、何かしら走り回ってしまうのだった。

ことにこうして「義務の処理」をしている間は、「無駄なことはしていないぞ」「やるべきことをこなしているぞ」という仮初めの安心感を得ることができるのでむしろ気が楽なのだった。

 

いやじっと休んでおいた方がいいと思うんだけどもね。明日は月曜日、嫌でも義務が迫ってくるのだから……………………

 

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酒は飲んでも飲まれるな(n回目)

 

酒を飲む際に気をつけなければならないのは、量ではない。濃度である。

――クロル・ニトロフェン(1994-2018)

 

こないだ別の飲み会では(確かに踊りながらダーツをしてしまったけれども)そんなに酔わなかったので(意識を保ったまま家に帰れた場合は「酔わなかった」と宣言できることになっている)、似たようなペースで飲めば大丈夫だと判断した……それが間違いだった、らしい。

普通にiPhoneを落としても気付かない程度の酔い方をした。

バスを降りた瞬間にポケットを探り、「あ、iPhoneねぇな」と思った。とはいえバスはもう走り出してしまっていたから、僕はそのまま見送るしかなかった。

 

しかし大丈夫! iPhoneには「iPhoneを探す」という機能があり、Apple IDとiPhoneとを紐づけておけばリアルタイムでiPhoneの所在地がわかるのである。

iPhone、iPad、Mac、Apple Watch を探す - Apple サポート 公式サイト

 

確認してみると、iPhoneは近所のバス営業所(兼バス車庫)あたりで止まっているようだった。

それでiPhoneが無事に回収されているものと思い込んだ僕は安心して翌日を待ったのだが、僕は自分の不運レベルを見誤っていた。

どうも車内の変なところに落としたらしく、まだバス内にあったらしい。面白いくらい的確に、iPhoneの現在地はバスの路線図をなぞるような動きで移動していく。

人間に拾われた可能性もあったけれど、バスの動きにあまりにも合致しているので、これはまだバス内にあるんじゃねえか? と思った。

 

営業所の方も、僕が伝えるiPhoneの所在地情報とバスの所在地情報とが重なっていく様子を面白がっているような雰囲気だった。わかる。当事者の僕も面白くなってきたくらいだったからな。

ただ正直、18時まで帰ってこないとなると色々とやりたいことができなくて不便なので(具体的にはバイクのヘッドライト交換とか)、

みたいなことを考えつつもあった。

 

路線図と時刻表とを見比べつつ、バスの現在地情報を確認できるサイトで該当箇所を探してみると、まさにiPhoneと同じ位置を移動していくバスが確認できた。まるで刑事ドラマみたいな活躍だ。

ちょっと楽しそうな僕。

 

ただ実際にバスで追いかけようとしてみたところ、それらしきバスに目の前で逃げられてしまった。やはりパトカーじゃなく自分の足で追うというのは簡単なことじゃないようだ。

 

大人しく18時まで待つか、となった僕は部屋のベッドで村下位タマミツネを倒し(モンスターハンターダブルクロス)、そのままスヤスヤ寝た。

20時まで。

 

…………。

 

こういうところが僕のダメなところだ。

 

 

何も知らない営業所のお兄さんに対して「iPhoneのクロルです」と名乗ってしまったことが本当に悔やまれてならなかった。昼に電話していたときはそれで通じていたので勢いで名乗りあげてしまった。

 

まあとりあえず、「本当は18時までに取りにきてほしいんですけど一応いまも担当者を減らした状態で開いているから回収しにきていいですよ」みたいな感じだったので取りに行ってきた。

 

で、関係者以外立ち入り禁止の場所に間違えて入ったら乗務員らしきおっちゃんに「こっちじゃないねん、この窓口でこのベル鳴らせば担当者が来るねん」と言われた。

なるほど、と思いつつそっとベルを鳴らしたら「優しぃなぁ〜w」と言われ、「こんくらい鳴らさな!」とかなり激しくヂャラヂャラ鳴らされた。

奥から出てきた受付のお姉さんは「なんやうるさいな」みたいな顔をしていたんだけど、その時にはもう乗務員風おっさんがいなくなっていて、まるで僕がガンガン鳴らしたみたいな空気になっていた。

つらかった。

 

というような感じでやっとのことでiPhoneが戻ってきて、そうして今この記事を書いている。

自分のiPhoneを「iPhoneを探す」で追い回したのは面白かったけれど、お陰で今日は一日なかなかハードになってしまったし、知らない誰かに拾われていた可能性もあったし、できればiPhoneは落とさないほうがいいと思った。

 

酒は飲んでも飲まれるな(n回目)

 

【今ナメクジの写真を見たくないなら絶対に先を見ないでください。記事にナメクジの写真を使いすぎて、ほぼ100%ナメクジの写真を見てしまいます】

トイレにナメクジがいた。

 

正確には昨日の朝からいたのだけれども、朝は時間がなかったのでそのままにしておいたのだ。僕は実家暮らしなので、家族のうちの誰かしらが追い出すなり塩を撒くなりするだろうと踏んでいたのもある。が、それは甘い考えだった。

ナメクジは昨日の朝いたはずの“トイレットペーパーホルダーの横”から、“トイレットペーパーホルダーの上”まで移動を遂げていた。そんな位置にいてよく今まで気づかれなかったな。

 

しかし、僕はふと思った。これはナメクジなりの承認欲求の表現なのかもしれない、と。

トイレットペーパーホルダーの横にひっそりと張り付いているだけでは誰からも見てもらえなかった……もっと自分を見てほしい、自分の存在に気づいてほしい、愛してほしい……現代人の多くが悩まされてやまないという承認欲求を、このナメクジも抱えていたのかもしれない。何だか苦しくなった。

 

とはいえ、承認欲求というのは一概に悪いものであるというわけでもないと思う。「人に認められたい」という欲求をバネにして何事かを成すことができるのなら、それは充分に意義のあることなのだ。「腹減った→食う」「眠い→寝る」「セックスしたい→する」と同等に、「人に見てもらいたい→見てもらえるように何かやる」、というのは自然なことだ。

ではなぜ承認欲求に対し否定的な目が向けられやすいのかというと、「見てもらえるなら方法は何だっていい」という方に流れてしまいやすい欲求だからであると思う。「私を見て」というのが高じすぎて、他者に迷惑がかかっていることに気づけなくなってしまったら“終わり”であるはずなのだ。

渋谷でトラックをひっくり返した人たち、恋人の精神を蝕むいわゆる〈メンヘラ〉、派手な犯罪に手を染める凶悪犯罪者、そういった人々の根っこにあるのはそういう「見てもらえるなら何だっていい」という怠惰なんじゃないだろうか。人の視線を浴びることの快楽だけを追い求めて、その視線が含む意味に意識を向けようとしない、そういう傲慢……なんじゃないだろうか。

 

つまるところ、承認欲求そのものは悪ではない、「頑張ったから/頑張るから、見て褒めて讃えて」という欲求は、むしろ達成感・爽快感・優越感を得るために無くてはならないものだ、ただしその方向性は、他者への影響は、常に意識しなくてはならない、……というのが僕の感覚である。

 

いやーしかし僕、ナメクジを見ただけで思考を宇宙に飛ばせるな?

 

……そんなことを考えながら、僕は思わずナメクジをじっと見つめた。その一瞬の動きを覚えておいてあげたくてスマホのカメラを向けた。するとナメクジは僕の視線に応えるように、その体をくねらせはじめた。

なんだこいつ、可愛いじゃないの。

粘液に濡れた胴体、艶かしく踊る触覚、どことなく淫靡な蠕動……認めざるをえない、こいつは……かなり…………

 

と、トイレで独り言を言いまくっていたらナメクジはトイレットペーパーホルダーから降りて物陰に隠れてしまった。実をいうと見とれているうちに退治できなくなってしまったというわけなのだ(つらい)。

まあ自力で外へでも脱出してもらいたい。

 

さて、ここから先は写真しかないから、ナメクジを苦手とする方々にはここで引き返していただこう。

お付き合いいただき誠にありがとうございました。

 

 

 

【今ナメクジの写真を見たくないなら絶対に先を見ないでください。

記事にナメクジの写真を使いすぎて、ほぼ100%ナメクジの写真を見てしまいます】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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よくご覧になりましたね。

オリオン座は冬の星座だから「オリオン座の下でセックス」って普通に寒そうなんだよな

やたらに寒い一日だった。

こういう氷雨の日に限って電車はいつまでも来ず、僕は極寒の駅でさんざん待たされることとなった。僕は年々、寒さに弱くなっていく。高校生の頃の僕なんかは、真冬に公園でおでんをつつきながら何時間も過ごすような真似をしてみせていたというのに。

 

とはいえ元来、冬は嫌いじゃない。空気がキンと澄んでいて、街の人々も何となく物静かで、どことなく綺麗な感じがするからだ。

そして冬は「人肌恋しい季節」である、というのも、下心丸出しの僕の心を浮き立たせる。まあ僕の持論として、春は発情の季節だし、夏は解放の季節だし、秋は寂寞の季節だし、春夏秋冬いつだって人肌を求めるものどもの欲望は止まらない、……という論があるんだけれども、それにしたって冬は寒いので一般的にみて人肌恋しい季節なのだ。そういう季節にこそ、歓楽街の散歩はオススメ。「寒いから少し暖まっていこうか」。ところでオリオン座は冬の星座だから「オリオン座の下でセックス」って普通に寒そうなんだよな。それでもオリオン座の下がいいっていうのは、やはり「極寒の中で熱い肉体を燃やす」というところに意味があるからだろう。

 

冬は「新町」を聴くとよい。

津軽曼荼羅

津軽曼荼羅

 

 

何の話だったかな。

 

何かを言おうとすると何かに阻まれる、そういう冬の日々なので、どうにも話し方を忘れてしまいがちで、しかもこんなに寒いので、ますます口が重くなる今日このごろである。

ともかく、冬は悪いものじゃないと思う。そのくらいは言ってもいいはず。嫌いなものより好きなものを語りたい。

 

まあ、社会生活を送らなきゃいけない今の僕としては(ある程度ちゃんと体を動かせないと困るので)もう少しお手柔らかに頼みたくはある。久々にコンビニのおでんでも買おうか。