世界のCNPから

くろるろぐ

人の言葉には裏がある

僕は中学1年生の頃いじめられていたらしい。

 

らしい、というのは、僕自身が全く気づいていなかったから。気づかなかった故に、傷つかなかったから。

 

僕は小学生から中学1年生に至るまで、他者を溺愛していたし、他者も自分を溺愛していると思っていた。父親が癇癪を起こす人間で、母親が嫌味を得意とする人間で、その間に生きていた僕は、「本当はみんな僕のことを好きだけれど、機嫌によって態度が違うのだろう」と思うしかなかったんだと思う。

 

今でも覚えているのは、中学1年生のときの遠足でのこと。いつも制服で学校に通っていた僕らは、遠足のときだけ私服で集合することを許されていた。僕はそのとき買ったばかりだったお気に入りの服を着て遠足に参加した。

 

「クロルくんの服、超イケてんじゃん。自分のこと相当イケメンだと思ってないとその服は選べなさそう。俺なら着れないなぁ」

「クロルくん凄いね、アニメの見過ぎって感じの服で」

 

遠足当日、かけられた言葉がこんな感じだった。

 

それに対して僕が当時、抱いた感想はこうだった。

 

「みんなめっちゃ褒めてくれるじゃん……まあ気に入って買ったからな! やったぜ」

 

マジで。

 

僕は本当に他人の言葉を疑わなかった。本気で、褒められたと思っていた。なんだか言い方が刺々しいとは思ったけれど、それはみんなの語彙力が足りないせいだと思っていた。読書家である僕はそのあたりの機微を汲み取れるのだと思っていた。

本気で。

 

いつだろう、その誤解に気づいたのは。

それは普段よく一緒に帰ってくれていた友人がいきなり僕を突き放したときだったかもしれない。それは僕に対する明白な悪口を漏れ聞いてしまったときだったかもしれない。それは恋人氏が影で僕への愚痴を吐いているのを知ってしまったときだったかもしれない。とにかく僕は、どこかのタイミングで、万人が自分を愛しているわけではないと気づいてしまった。

いや、気づいたというより、直視してしまった、というのが正しいのかもしれない。僕はずっと自分を誤魔化して、人の言葉を好意的に読み替えて、それで自分を守れていたのに、自分で自分の欺瞞を理解してしまった。

 

人の言葉には裏がある。

 

僕の言葉にも裏がある。

 

僕は他者の言葉を信用できなくなった。……というと聞こえが悪いけれど、要するに、どんな言葉の裏にも「その言葉を吐くに至った経緯」とか「その言葉を選ぶに至った感情」とか「その言葉を発するに至った理由」とかがあって、なんでも好意的に受け取ればいいというわけじゃないことを知った。

 

そっからの僕は、他人の言葉について裏を読まずにはいられなくなった。「裏」というと悪い意味に聞こえるが、要は言葉の文脈、言葉の行間、というような話だ。

 

例えば。

 

「嫌いだ」と言われた場合、それは「自分から離れてほしいので冷たい言葉で拒絶します」となる場合が多く、わかりやすい(「本当は好きだけど構ってほしくて拒絶しています」というパターンは、僕のような人間に向けられることはかなり少ないのでほぼ度外視できる)。

 

「好きだ」と言われた場合、「本当に好意的に思っています」か「角の立つ言葉を選ぶと面倒くさそうなので好意的な言葉を選んでいます」かという分岐があるため、ややわかりにくい。こういうときは相手の表情を見る必要がある。

 

といったような。

 

僕自身も相手の状況や願望や行動をできるだけ考慮しながら言葉を選んでいるつもりだけれど、他者は他者で僕という人間を読みながら言葉を選んでくださっているはずで、僕は、まず声をかけてくださっていること自体に感謝しつつ、隠されている意味を読み取らなければならないと感じている。

読み取った上で、どう返すか考えなければならないと。

 

僕が他者とのコミュニケーションにめちゃめちゃ体力を使ってしまうのはこういう、勝手な読み合いを自分で展開してしまうせいだと思う。たまに「人と喋ると元気が出る」という方がいらっしゃるが、僕からすれば驚懼の対象だ。

 

「自分はいつも素直に喋っているから何も考えなくていい」と、ある友人にご提案いただいたことがあった。それでも僕は、相手の表情をこっそり伺いながら、結局は疑いつづけた。悪い意味じゃないのだ、「裏」というのは。その言葉を発するにあたって相手が考えたであろう物事というのを、僕は汲みたいのだ。……本当は。

 

そして僕が技巧的な言葉選びをしてしまうのも、きっと本当は、相手に読んでほしいから……なのだと思う。恥ずかしながら僕も、きっと素直な人間ではない。

 

と、考えていくと、他者交流というのは、僕にとって本当にかなり難しいことだ。精神的スポーツだ。それなのにここんとこ出社ばかりで在宅勤務にさせてもらえないので、僕は体力をだいぶ失っている。

僕の理想は「他者に嫌われることなく、かつなるべくひとりで生きていくこと」である。他者からいただける愛情は、大事にしたい。他者のことは、愛したい。けれど、交流は見てのとおり下手なので、程よく放置されたい。

 

つまり、まぁ、やっぱり独り暮らしと転職をしないとダメだな……。