世界のCNPから

くろるろぐ

もう22時半じゃないか

この汚れた部屋を片付けて恋人と会う権利を再び勝ち得るか、恋人と会う権利を失ってでも部屋の片付けから逃げ切るか?

 

僕は生まれた時から今に至るまで片付けが下手だ、下手というか苦手というか嫌いだ。現在の僕がゼロから始めればさすがにここまでの事態にはならないだろうと思うのだが、かつての僕があまりにも片付けから逃げつづけてしまったために、我が部屋が手のつけようのないほど散らかってしまい、もうどこから手をつけていいやら分からないのだ。

 

僕の母親は僕の所有物を勝手に捨てる人だった。

僕が大切にしていたものを、母親は断りもなくいきなり捨てた。それについてどれほど責めても、「何が悪いの? あんなもののために必死になってバカじゃないの?」と笑っていた。

まあ、「散らかしているお前が悪い」という母親の言い分は痛いほど正しかったし、捨てられてしまったものを取り返すことなんてできないので、僕は泣き寝入りするしかなかった。

 

そういう手厳しい「教育」のおかげで、僕は逆にものを溜め込むようになってしまったんじゃないかと思う。あまり人に言えないような病的な状態にもなった。母親は僕が出かけている隙を狙って物を捨てるので、僕は鞄の中にできるだけ多くのものを詰め込んで出かけたり、箱の中に詰めてガムテープで塞いだり、様々な対策を打っていた。それでも母親は止まってくれなかったのだが。

 

いや片付ければいいだけでは?

健常な人ならそう思うだろう。

僕だって本当は片付けりゃいいだけなのを理解している。それでも僕は片付けをしようとするとすごく苦しくなって、本当に全く上手くできない。ものを捨てることに対する恐怖みたいなのがあるような気がする。特にかつての僕は、捨てられてしまう「もの」に対して同情とも執着ともつかない感情をかなり強く抱いていて、ちょっとしたものでも捨てるのに勇気を必要とした。

 

捨てたらもう会えない、どんな形状でどんな質感で、というのを忘れてしまう、……恐らくそれが怖かった。

 

今はそこまでじゃないと思う。けれども、祖母が事あるごとに「片付けて」「片付けて」と繰り返すので気分が重くなって、嫌で嫌で、家にいることすら耐えられなくなってしまう。家にいなければ片付けもできないので、けっきょく片付かない。片付かないから祖母に責められる。責められるから逃げ出してしまう。悪循環だ。

 

知り合いの綺麗な部屋へ行くと羨ましくなる。本当はそういう風にしたい、僕だって。でも何だか僕の場合、片付けをするための大事な器官が壊れてしまっているみたいだ。さあ片付けるぞ、と気合を入れるところまではもう何回もやったのに、いざ手を動かそうとするとダメだ。

 

テレビで見る、いわゆる「汚部屋」の持ち主たちは開き直っていることが多い。「住めるんだからいいじゃん」、そういうコメントをよく見る。そしてそれを見るたび、家族は「クロルの部屋じゃんw」と言って嗤う。

一応最低限の社会的信用を失わないために言っておくと、そこまでではない。さすがに腐った弁当のゴミとか納豆パックとかは置いていないし、床に服を置きっぱなしにしてもいない。

そして何より、僕は開き直っていない。開き直れていない。

本当は片付けなきゃと思う、片付けなきゃ片付けなきゃ片付けなきゃと思う、自分を責めて責めて、だいぶ呼吸困難になっている。

開き直れた方がむしろ楽なのかもしれないと思いながら。

 

僕がどれくらい苦しんでいるのか、母親も祖母も知らない。父親も片付けは下手な方だが僕ほどではないし、やっぱり僕の気持ちをわかってはいない。僕は本気で苦痛を感じている。たぶん、誰にもわからないだろう。

 

ブログを書いて逃げていないで片付ければいいじゃんって? ほんと、本当にその通りだ。もう22時半じゃないか。驚いたね。これから片付けを始めなくてはならない。何もかもが苦しい。

 

家に火をつければすぐ片付くのに。