世界のCNPから

くろるろぐ

虚無になっていこう

インターネッツにおける「感情が死ぬ」「虚無になる」という言い回しは、基本的にマイナス方面の意味を孕んでいる。要するに「つらすぎて振り切れてしまった」という状態を「死」とか「虚無」とかいう言葉で示すことが多い。

 

けれども、僕は今日、そんなにネガティブでない「感情の死」、「虚無」を味わった。

 

そもそも虚無というのは、

1 何物もなく、むなしいこと。空虚。
2 この世に存在するすべてのものに価値や意味を認めないこと。「虚無感」
3 虚心であること。「虚無自在の心」
4 無限の宇宙。大空。虚空(こくう)。
5 古代中国の老子の哲学で、万物の根源・本体は、はかりがたく無であるということ。

(参考 : 虚無(きょむ)とは - コトバンク )

こんな感じだ。「何物もなく、むなしい」、「この世に存在するすべてのものに価値や意味を認めない」。まあまあネガティブな雰囲気が漂っている。

 

そして、このデジタル大辞泉どっかで見たなと思ったら過去の自分がネガティブに引用していた。

cnp.hatenablog.com

 

何せ、あの頃は仕事がめちゃくちゃ忙しかった。記事を読み返しただけでもそのときの苦痛が蘇ってくる。

当時の僕は「虚無」と上手く向き合えなくて嘆いていた。ぼけっとしている場合じゃないよな、どうしてこうなったんだっけ、という自己嫌悪でいっぱいだった。……本当は今もそうだ。何か成さなければという気持ちばかり焦って苦しい。

 

けれども最近になって感じたことは、空っぽの時間も必要だということだ。

 

今日の僕は、会社からどうやって帰ってきたかわからない。普段は本を読むかブログを書くかしながら帰ってくるので記憶もしっかりしている。だが今日は本当に本気でぼーっとし続けたまま帰ってきており、

このツイートの直前くらいに意識を取り戻したような感じだった。どこをどう歩いたかもさっぱり覚えていない。ただ体が家にあるので、帰宅に成功したことは間違いない、というくらいのものだ。

とにかく感情がピクリとも動かなかった、それは死んだと言えるほどの虚無だったと思う。

 

しかし、僕は不思議と嫌な気分になっていない。確かに貴重な時間をぼーっと費やしてしまったように見えるけれど、おかげで体力がわずかばかり回復したような気がしている。

常に必死こいて生きなきゃいけないという規則はないわけだ。体力やら気力やらが足りないときは記憶が飛ぶくらいポカーンとしておけばいいんだ。

虚無になっていこう。

 

……と、いう気分の日もあるんだなと思った、今日はそんな日だった。