世界のCNPから

くろるろぐ

小説・他人の遺書

朝起きて郵便受けを確かめると、何やら分厚い手紙が届いていた。真っ白な封書には僕の住所と名前だけが書かれており、差出人の署名はなかった。とはいえ、その特徴的な筆跡はよく見慣れたもので、誰から来たものであるか僕にはすぐわかった。僕は妙な胸騒ぎとともにそれを開封し、最初の一文に漂う哀愁の感だけですべてを理解した。生まれて初めて僕は、他人の遺書というものを目にしていた。

 

彼はもう死んでしまったか、あるいは死んだことにして消えてしまったか、いずれにせよ僕の前に姿を現すことは二度とないだろうと思われた。そこで僕は、実に詩的で感傷的な彼の遺書をここに書き写しておこうと考えた。ただし、彼がまだどこかで生きていた場合のことを考え、彼本人の正体および彼の苦悩の原因を曝け出してしまうような具体的な部分は思い切って省き、僕の気に入った詩文だけを抜粋しておくこととした。

無論この切り抜かれた文章だけでは、誰が見ても何のことやらさっぱり分からないだろう。それでも、幸やら不幸やらということを考えながら生きていかざるをえない誰かの前に、ひとりの自殺者の最期の言葉を捧げておきたかったのである。

 

 

以下、抄録。

 

 

 

 

 

例えば僕が不幸だったなら、いくらでも言い訳ができたはずだった。どんなに道を外れようと、嘘を吐こうと、大声で泣こうと、人を傷つけようと、僕が不幸であったなら、赦されたはずだった。しかし、もはや僕がこの世で最も幸せな人間のうちのひとりであることは疑いようがなく、従って僕は、もう何も赦されなかった。立ち止まることも引き返すこともできなかった。為すべきことを為しつづけ、果たすべきことを果たしつづけなければならなかった。

 

端的に、僕は愚かだった。ありとあらゆる自分流の正義が、ことごとく世界流の正義と噛み合わなかった。どんな虚言で飾り立てたとて、誰にも認められない正義は悪徳でしかなかった。僕は何もかも辞めたかった。すべて終わりにしてしまいたかった。されど、それすら赦されはしなかった。いかなる懺悔も意味を為さないほどの極悪非道の犯罪者にとって、極刑は救いにしかならないからだった。

 

君も知っての通り、僕はもうすぐ誕生日を迎えることになっていた。何回も繰り返した「自分の生まれた日」が、今年も平然と訪れることに僕は恐怖を感じた。実のところ、僕のもとにはすでに幾つかの誕生祝いが届いていた。それがまた、僕を苦しめていた。君からの贈答品もあったから、僕はそれを邪険にするようなことを書き遺したくなかったのだけれど、今更だから正直に述べると、僕はそうした贈り物たちに対してひどく怯えきってしまった。人々の親切が、好意が、慈愛が、僕の汚らしい細胞の隙間隙間に染み渡って僕を破壊するように感じた。僕は祝われるべき存在でなかった。今すぐにでも断頭されるべき悪党だった。かの太宰治は、誕生日を目前に愛人と水死し、その死体を誕生日に引き揚げられている、僕もそうすべきだと思った。ただ、僕はひとりでそうしたかった。

 

今朝、僕は朝焼けを見た。薄青と橙色と紫とが順番に広がって、僕を責めているように見えた。綺麗だね、と僕は呟いて、黙った。僕がいなくなればこの空は、もっと率直に澄むだろうと思った。自分の穢らわしさに耐えかねて震えた。中身のない胃袋が何かを吐き戻そうとして逆さまに蠕動するのを感じた。道ゆく人々が僕を不思議そうに見た、その視線すら僕には罵倒のように感じられた。彼らは何も知らないのだ。僕が諸悪の根源であり、僕だけが悪の権化なのだということを。

 

朝焼けが切っ掛けだなんて言ったら君は笑うだろう。ただ、これはあくまで切っ掛けに過ぎないのだということも分かっておいてほしい。先に述べたように、僕は、誰よりも幸福な人間だった。あらゆる点で恵まれ、愛され、慈しまれていた。僕の人生のすべては上手くいっていて、掻き毟りたいほどだった。

 

これから、僕は出かける。願わくは君が幸せでありますよう。ただし、自分は悪くないと嘆声をあげても赦される程度には、不幸でありますよう。