世界のCNPから

くろるろぐ

三月三十二日

三月三十二日、と書き入れてしまったメモを破いて捨てながら、今日から四月に入ったのだということを思い出した。思えば通勤経路の桜並木は命短しとばかりに咲き誇っていたし、心なしか夜風も甘やかになってきたし、自動販売機の飲み物は冷たいものが増えてきたし、春、だった。

 

二十三時を過ぎて、駅のホームに立つ人影も疎らになってきた。誰も見ていないから、泣いても構わないだろうと思った。ここのところ感情が鈍化して、ちょっとしたことでは泣かなくなった。けれどその代わり、何もないのに涙が溢れたがっているのを感じるようになって、そういうときはできるだけ涙腺に逆らわないようにしていた。

 

片手に酒の缶。片手に小説の本。ホームの端、できるだけ死に近いところへ立って、やってこない電車を待った。視線の先に、無骨な線路。少し目を上げると、照明の目立つ立体駐車場。さらに上げると、雨の色をした夜空。しばらく見ていたいと思った矢先、鈍い銀色に視界を遮られた。

 

十年前の自分に、今の自分を誇ることができるだろうか。そんな主題で思索を始めたら、鬱屈とした感情に拍車がかかった。今の自分は、何ひとつ、十年前の自分の期待に応えてはいなかった。十五歳だったころの彼は、二十五歳で所帯を持つつもりでいた。十五歳だったころの彼は、作家になる気でいた。十五歳だったころの彼は、酒浸りになるつもりなどなかった。

 

自分のために泣かれることを、拒絶したい気持ちでありながら、自分のために泣いてくれる人を、拒絶できない気持ちでもあった。「孤独を愉しみたいなら、孤独であってはいけない」。そんなことを言えた過去の自分が、他者をどう捉えていたか、今の自分には思い出せなかった。

 

間違った駅で降りたために、家が遠くなった。帰れなくなっても構わないから、独りになってしまいたかった。深夜の空気は冷たくて、むしろ祝福されているような気がした。疫病のために自粛されている花見を、自分ひとりで愉しめるのは、むしろ救いであるように思えた。

 

選択を、任されることが何よりも怖かった。何故なら、どの選択肢も間違いであることが、既に分かっていたからだった。何も選ばないことを、赦されてみたかった。どこにも行かないことを、許されてみたかった。

 

人の感情ほど、わかりえないものはない。自分自身の感情さえ、もはや。